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ジョシュ・トランク版『ファンタスティック・フォー』は打ち切り漫画を彷彿とさせる怪作

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 アメリカでの酷評もあり、覚悟を決めて鑑賞に望んだ臨んだ「ファンタスティック・フォー」だが、期待値を下げていたせいか以外にも悪くない作品に思えた。これは嫌いではない。ただ酷評される理由もわかる。
 
 異次元転送中の事故で特殊能力を得てしまった4人の男女を描いている。
 最初にはっきりと伝えておかなければならないことは、アベンジャーズやX-MENのようにヒーローの大活躍を期待して観に行くのはやめておいた方がいい。
 この作品はヒーロー物に必要な爽快感や満足感という物に欠如しているからだ。そもそもヒーロー物と呼べるかすら危うい仕上がりになっている。
 ヒーロー物として観なければ「前半は傑作」だ。しかし後半は「寒気」がしてくる。そんな奇怪極まりない作品となっている。

 ネタバレを含みます。

 今回のリブートはスーパーヒーロー映画としてはお馴染みのオリジンから描きなおされている。だが前半はこの異次元転送装置開発に主軸が置かれている。
 

 世間には理解されない「異次元旅行」への夢を持ち、その実現に挑むMr.ファンタスティックことリードの幼少期から物語は開始される。リードはベン(ザ・シング)と出会い異次元転送装置の開発に撃ち込んでいくのだ。
 
 研究を認められバクスター財団のスカウトを受けて本格的な大規模実験へと移行していく。そこでビクター(ドゥーム)、ジョニー(ヒューマントーチ)、そしてスーザン(インビジブルウーマン)と出会う。
 彼らは何かしらの傷を抱えている。リードは研究を周囲に認めてもらえず、親からも放置されてきた。ジョニーはバクスター財団の長である父親フランクリンへ反発し車を改造し無謀なレースに打ちこんでいる。スーザンはフランクリンの養子として育っている。ビクターは異次元転送計画の発案者だが、刑務所に収監された経験を持ち計画からは一時的に追放されていた。
 そんな彼らが打ち解けてゆき、友情や恋愛の狭間で揺れ動く。スーパーヒーローものとは思えない、リアルで鬱屈とした青春の一ページが描かれている。
 映像も演出も淡々としているが、研究に打ち込む彼らは静かな熱を帯びており、どこかドキュメンタリー性を感じさせる作風になっている。自然と、そんな彼らを応援したくなるわけだ。そのため、興奮だけは無限に湧き出てくる。

 この興奮は登場人物の背景が丁寧に描かれてことで発生する。丁寧すぎるほどに丁寧に描いているおかげで、彼らがこれまでどれほど苦悩してきたか、知り合いを見ているかのような感覚が湧き上がってくるほどだ。
 さすがはクロニクルを監督したジョシュトランクだけはある。妙に現実感のある青春の空気を完成させる手腕は見事だ。

 研究を政府に奪われることが判明し、政府の人間よりも早く異次元へ訪れた初の人類になるために、無許可で装置を動かすあたりも心情は凄く理解できる。
 異次元のプラネットゼロを訪れ、そこにあるエネルギーが暴走する事故でビクターは帰らぬ人となる。事故のせいで4人は超能力を得てしまうのだ。
 
 地球に帰還した彼らは能力を受け入れられず苦悩していく。これもクロニクルを彷彿とさせる。
 この力をどのように使用すればいいのか、それが分からずに苦悩してゆく姿。何とか元の生活に戻そうと尽力する父親との軋轢。やり場のない怒りと諦観がにじみ出ており、彼らは望まぬ結果に得た能力の意味を見出そうと必死になっている。
 能力に精神と心が追いついていない。それにどう対峙して克服してゆくのか。彼らがヒーローに目覚めるにはその過程が必要なのだ。

 ここまでは良い。傑作の匂いしかしないために、もしかすると酷評は異次元での話なのでは、と淡い期待を抱いた。

 しかし政府のプラネットゼロ調査でドゥームが生きていたことが判明し、地球へと帰還するのだ。
 そこから、物語は加速的に狂い始めてゆく。
 問題なのはドゥームの背景が全く見えない事だ。事故から再調査までは1年の時間が経過しているのだが、そこでドゥームの心理にどのような変化が起きたのか全く読み取れない。ドゥーム誕生への伏線が皆無のおかげで、背景を想像することすら困難になっている。
 

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 地球に帰還した彼は「俺の居場所はプラネットゼロ」と言い放ち、とりあえず人々を殺傷させるヴィランっぽい活躍を見せた後は、プラネットゼロに帰ってゆく。その最中に異次元転送装置を暴走させてブラックホールを発生させ人類抹殺をもくろむ・・・。
 そして4人は「なんかやばいからドゥーム止めるぞ!」と騒動に巻き込まれていき突然ヒーローのような活躍を見始める・・・。
 なんだ、何が起きているんだ・・・? さっぱりと理解できない。
 
 前半は科学物の様相を見せており、中分の事故後は能力を得た青年たちの苦悩を描いた。ここまでの人間描写は密度が高いおかげで濃密なものになっているのだが、ドゥーム帰還以降はその丁寧さが完全に無かったことにされている。とりあえず、ヒーロー物にしてみたけどという雰囲気だ。
 明らかに時間配分を間違っている。監督とスタジオで問題が発生したとの情報もある。終盤の流れはその軋轢を伺わせる仕上がりだった。

 4人がヒーローとして目覚める過程がない。彼らの絆を修復していく過程や葛藤すらも存在しておらず、父親が死の間際に「協力せよ」と言っただけであっさりと力を合わせてドゥームと戦っていく姿には寒気を感じる。
 どうにかして人気を出すべくバトル物に路線変更をしたが、それが上手く行くわけもなく自滅し打ち切られて行く・・・。後半は打ち切り漫画を彷彿とさせた。
 
前半と後半でころっと雰囲気が変貌する感覚は、日本の打ち切り漫画で何度も味わっている。週刊少年漫画みたいだ。タ○ヤ並の突飛な印象を受けた。
 これが週刊や月刊連載の漫画であれば確実に「前半は傑作なのにどうして・・・」と言われるパターンだ。
 なるほど、打ち切り漫画を巨額を費やして映像化したらこうなるのか、と目から鱗だった。

 
ドゥームは何をしたかったのか。お前に何があったのか。頼むから教えてくれと土下座したくなる。
 4人もなんでいきなりヒーローっぽい活躍をするのか理解が追いつかない。完全に観客が不在となっている。一つ言えるのはドゥームがこの世界を破滅させたことだけは確かということだ。

 前半と同じ密度で、4人がヒーローとして目覚める過程とドゥームの背景を描いていれば、全編通して紛れもない傑作に仕上がっていたはずだ。そもそも上映時間が100分という短さなので、あと20分追加して120分丁度なのだ。これぐらい尺を伸ばせば、目覚めとヴィランの背景をきっちりと描けただろう。なぜこんなことになったのか。

 酷評の理由も理解できる。ただ前半があんまりにも素晴らしいので個人的には完全に嫌いになれない。でも後半部のひどさには怒りたい。そんな奇々怪々な作品になってしまった。

 これは駄作と一蹴してしまうことだけはしたくない。でも名作でもなければ普通でもないのだ。
 形容する言葉が見つからない、そんな作品だ。

 ドゥームが廊下を突き進んで念力で人を殺傷させる姿はAKIRAの鉄雄そのまんまでしたね・・・。