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変貌する『オタク』という存在 新世代の『オタク』について考える

Akihabara District at Night

 なぜこんな記事を書くのかと言えばTwitterでこんなつぶやきが流れてきたからです。

 このつぶやきに衝撃を受けた。時代の変貌を目の当たりにした気分になっちゃった・・・。
 それに、あのミュージックステーションでも初音ミクが出演したということも、執筆動機になっています。

 今の若い人たちはアニメを鑑賞し、ライトノベルを読み、艦これやアイドルマスターのような美少女だらけのゲームをプレイしていても、オタクにはならないようだ。
 信じられないかもしれないけれど、そんな空気になっている気がする。
 現代における「オタク」というものは何なのか。

 私はオタク論やサブカル論に造詣があるわけではないのですが「オタク」の現在について考えてみました。


 かなりの長文になっています。
 

 

世間の変化


 最近は変わったな、と感じることがある。
 秋葉原や日本橋に、普通な見た目の人が増えた。アニメ映画を見に行くと、普通のカップルが居たり、イケメンくんがいたりと、オタクとは思えない人が集っている。
 体育会系な人の携帯待ち受けがアニメだったり、ラノベを読んでいる・・・。
 今まで忌避されてきたコンテンツに、オタクとは思えない人々が集っている光景はここ数年で増えたように思える。
 この記事では一体なぜそうなったのか。ひも解いていきたい。

オタクとはなにか


 そもそも「オタク」という定義は確立していないように思える。マニアとオタクの境界は何かと問われても、答えに窮する。違いって、なに・・・?

 ステレオタイプかもしれないけれど、見た目が気持ち悪い、ファッションがダサい、リュックにポスターが刺さっているなど、気持ち悪い印象が出てくる。そんな意味が「オタク」という言葉に込められている気がする。

 そんなオタクを簡潔に表すなら「少し変わっているが、何かに対して無駄ともいえる知識量や情熱を持っていて、見た目がキモイ人」という意味になるのだろう。


 ステレオタイプに陥るけど、オタクという言葉で連想する人間の姿はやはりこの要素が強いと思う。オタクはは服や髪型には無頓着な人も多い故に、見た目もあか抜けないのでキモイ印象を植え付けるのかもしれない。
 オタクと言えばこういう印象だった。

 「いい歳した人間が~」という言葉がある。(無茶苦茶言葉が悪いけれど)昭和的な価値観で凝り固まった人がよく使う言葉に感じる。そういうのもあり、一定の年齢でアニメなどを卒業するのが当たり前という時代があったように思える。そんな価値観がまかり通っていた時代では、いい歳した人間がアニメを見ているだけでオタクと言われることに繋がった。
  
 でもそれは昔の話で、現代ではアニメやゲーム、ライトノベルやボーカロイドに触れている人はオタクと形容されないらしい。信じられない人もいるかと思うが、実際にそうなっているのだ。

オタクの変遷


 基本的にオタクというのは迫害を受ける存在だった。
 昔の新聞ではコミケを取り上げ「ネクラ青年が殺到、異様な光景」と今では人権問題に発展しかねないボロクソな文字が書かれていた。これには数々の事件が起きたことも関係していけれど・・・。
 そのおかげでマスコミが「オタクとはアニメやゲームを好む。大人になっても離れられない変質者」とレッテルを貼った報道をすることは多い。(これは今でも見受けられるが)
 そのような主張が社会からオタクを迫害する動きに繋がった。

 いい歳した奴がアニメなんか見る物じゃないと言われる。中高生でもこのようなことを言われた人も多いはず。少し前まで、アニメを見るのは小学校卒業ぐらいまでという印象があったのでは。正確なデータがあるわけでもないので、個人的な推論となるけれど。
 アニメは子どもの物というイメージが強いから、このような考えが出てくるのだろう。子どもの物を大人になっても見るというのは、奇怪に見えてしまうのだろう。

 「子どもが見る」とされていたコンテンツの風向きを変えたのは、やはり宇宙戦艦ヤマトじゃないのかと。高年齢層のアニメファンが認知された嚆矢は劇場版宇宙戦艦ヤマトの第一作目とも言われている。セル画のプレゼントを目当てに、ファンが劇場に徹夜で列を形成したという逸話もあるほどだ。入場者特典を欲する光景は今でも変わらない。

 その後、ガンダムが世に登場し、多種多様なロボットアニメが粗製濫造される時代へと突入した。80年代ににはOVAが登場し、90年代にはこれがが盛んに制作され、TVではエヴァンゲリオンが登場した年代だ。
 ロボットアニメはプラモデルなどの多様なグッズを量産できるので、お金を持つ大人の購買欲を刺激する「コレクター性」も大人の視線をアニメへと向けさせることに繋がっただろう。
 
 大人もアニメを見ると判明してから、アニメの多様性が示された。子どもには購入し辛い媒体、難解な作品がアニメで登場し「アニメは子どもが見る物」という概念を緩やかに崩壊させていったように思う。
  
 しかし、アニメの内容がたとて重厚で難解な大人向けだとしても、アニメを見ているだけでオタクと呼称され、被差別階級へ送り込まれることは10年ほど前まで見られた光景だ。
 00年代初期まで「アニメを見ているとオタク」と認識されることは普通だった。風向きを変えたのは05年以降だと考えている。これは「オタクの受容」の項で詳しく述べていきたい。
 
 だから昔は隠して生きていく必要があったけど、今は違う。アニメを見ていると公言し、ボーカロイド楽曲を聞くのが趣味と、何の臆面もなく宣言する人は多い。
 一昔前だとアニメを見ているという「カミングアウト」は人生を変貌させかねないほどの意味を持っていた。

 しかし、今の若者はアニメを見ていることも、ボカロに触れる事もラノベを読むことも、特に変な趣味だとは思っていない。
 アニメを見ていても、美少女キャラがアイコンとして描かれたボーカロイドに触れていても、それでオタクとは呼ばれないのだ。

 なぜなら、彼ら彼女らにとってしてみれば「コンテンツ」の一つでしかないからだ。ただのコンテンツに触れているだけで、オタクと呼ばれるのはおかしい。それ故に、アニメを見ている(アニメ)=オタクという認識すら持ち合せていないのだ。

ウェブサービスによるオタクの変貌


 更なる要因としてはネットの普及が大きいはず。特にYoutubeとニコニコ動画の存在は今のオタクではないオタクを多数生み出すきっかけになったのでは。
 若者は物心ついたときからインターネットに触れている人が多いのでは? 
 それに一人一台スマートフォンを持っている時代だし、インターネットはかなり身近なものになっているはず。
 テレビや雑誌よりもスマホに触れている時間のほうが長いんじゃないのかな?
 
 今の若者はニコニコ動画を利用している人が多いようだ。
 14年3月末時点でのニコニコ動画年代別シェアのデータがあった。
 登録会員数は3936万人とのこと。
 http://info.kadokawadwango.co.jp/ir/pdf_d/presentation/20140514.pdf
 年代別シェアでは10代は15.9%と20代になると41.4%になっている。10代と20代で利用者の半数以上を占めている結果だ。(アカウントは複数取得できるし、年齢も偽ることが可能なので正確な数字は前後すると思われる)
 この数字から察するに、若い人たちからしてみるとニコニコ動画を利用することはマジョリティ、つまり普通の事だと捉えている気がする。

 アニメ配信や実況動画の再生数がかなり多い。「東方・アイマス・ボカロ」がニコニコ御三家と言われた。(今は何が御三家になっているかは知らないけれど)
 二次元コンテンツが主軸となっているウェブサービスだ。一昔前にネットがありニコニコ動画を見ていたら、おそらく迫害されていただろう。
 かつては「二次元コンテンツは気持ち悪い」と短絡的に言われる流れがあったからね。

 ニコニコもYoutubeもサービス開始時は比較的アングラのような雰囲気があった。ニコニコ動画はYoutubeの動画にただ乗りしていたし、独自システムに移行してもしばらくは無法地帯だった。
 その後は浄化作戦が開始され、今のような状況になってゆく。その中で初音ミクを筆頭としたボーカロイドや、ゲームプレイ動画、MAD動画であふれるようになった。
 Youtubeでもユーチューバーがゲームプレイ動画やアニメの感想動画を公開しているのも影響しているはず。彼らは人気を得ているからね。

 

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 ニコニコ動画発の「カゲロウプロジェクト」も人気がある。書籍が出てアニメかもしれているしね。
 ネット発のアニメやムーブメントも、若者を二次元コンテンツに向かわせる原動力になっている。

 Pixivのようなイラスト公開サービスの登場もオタクを変貌させる要因だ。そこでは様々なコンテンツのイラストを誰でも公開できる。
 かつて、オタクが同志と交流するためには書籍の文通コーナーを利用したり、イベントに赴く必要があった。でもネット時代でこんな労力が必要なくなったのだ。
 気に入ったアマチュアイラストレーターの作品に家や電車の中、学校や職場からでも感想を伝えることが出来るようになった。時にはイラストを交換し合うこともできる。これはPixivだけではなくニコニコ動画やYoutubeなどの動画サービスでも同じだ。いつでもどこでも感想を伝えられる時代となり、他社との距離が大幅に縮まった。
 
 そんなあたり前で、身近な存在だからこそ「見る人」が多くなるんじゃないのかな。だから「みんなが見ている」という空気が形成されている。みんながアニメを見ているから、ボカロを聞いているから、絵を描いているし見ているから、という空気が出来ている。だから「アニメみてまーす」と公言しても特に迫害されることも無くなっているのだ。

「みんなが見ている、触れているコンテンツの何が気持ち悪いのか」
 開き直りのようにも思えるけれど、実際にはこうなっている。だから「アニメを見る=オタク」という感覚がないんだと思う。それが当たり前になっているからだ。

 執筆動機として提示した「つまらなくても見なければ」というのも、友人たちの輪に入るためだ。
 
昔の「共通の話題」とはなんだったのだろう。テレビドラマや音楽なのだろうか。アニメの話なんてしようものなら、即刻被差別階級入りになるだろう。
 逆に現代では、かつては忌み嫌われたコンテンツに触れていなければ「輪」に入れない時代になったのだ。アニメなどの二次元コンテンツが「共通事項」として存在しているからだ。

 この「みんなが見ている」という空気は無視できない。
 日本は空気を読むことを重視される国だから、若者がアニメを見て、美少女満載のゲームをプレイさせることを加速させているのかもしれない。みんな見ているしプレイしている。楽し気な「輪」から除外されてしまうのが嫌なのだろう。日本独特の空気を読む文化は無視できないと思うよ。
 空気を読むってのは良いか悪いかを別としても、アニメを「共通の話題」として押し上げた要因の一つだと思うよ。無視することはできないはず。


オタクの受容


 なぜオタクが世間に受容されていくようになったのか。
 契機としては「電車男」の登場になるはずだ。05年に登場し、オタクと一般女性の恋愛を描いた作品である。映画とドラマも大ヒットした。
 この作品がトリガーとなり、オタクのカジュアル化が急加速したと思う。そのおかげで世間の受容も加速したように思える。

 しかし電車男の登場で、世間の風向きが突如変化したわけじゃない。これが出ても、世間ではオタクが奇異な存在として見られていた。見た目のダサさも相まって、脱オタという動きがこの時までは根強く残っていたように思える。

 電車男から緩やかなるオタクブームが発生した。
 電車男の登場で著名人が「オタク」だと宣言することも増えた。その影響力を持つ存在がオタクと宣言してしまうと、世間の風向きが変化するのも当然だ。かつては特定の物事に熱心でキモイ見た目をした人がオタクと呼ばれたが、イケメンな芸能人が「俺オタクなんすよ~」とか言っちゃうと、オタクへの印象も変化するだろう。
 
 電車男の登場でオタクの存在が今まで以上に認知されるきっかけとなった。電車男は「オタクが真摯に一人の女性と向き合う」という内容だから、オタクの印象を僅かにでも変化させたのかもしれない。
 そのおかげで「あ、俺もオタクになってみっかなー」と軽いノリでアニメを見てると宣言した一般人も少なからずいたと思う。受け狙いでオタクを宣言してみたりする人がいたはずだ。
 そんなノリもオタクの受容を加速させたと思える。リア充的なノリは無視できないんじゃないのかな。

 電車男のヒットでオタクのカジュアル化と世間への受容が始まった。
 そして「涼宮ハルヒの憂鬱」が登場しこれが大ヒットする。ハルヒダンスがメディアで取り上げられたことが世間へ深夜アニメの存在を認知させる契機になったと思う。

 その後「けいおん!」が登場。映画版もヒットした。「まどかマギカ」もTV版と映画版がヒットした。「ラブライブ!」が200万人を動員するなど、オタクの商業的価値を無視することはできなくなった。
 深夜アニメ映画の量産により劇場で美少女が主張するポスターが貼られている光景は珍しくない。商業的にも成功する作品も多く出てきたので、お金になるから受け入れるという動きが加速している気もする。

 00年代初期までは、深夜放送のアニメを見る奴なんかイカれた野郎という印象はあったはず。そこまでしてアニメを見る奴が「オタク」とのレッテルを貼られた。
 そんな時間に放送しているアニメはどうせまともな作品じゃないと思われていたはずだ。そんなものを見るのは気持ち悪い「オタク」だけだろう、との認識が世間にあったのでは?

 だが現在を見てみると、アニメを見るには深夜と言われるほど深夜アニメの本数が増えたし、様々なヒット作が登場した。ハルヒのように社会的認知度を得る作品が出たことが、大きなターニングポイントになったと考える。
 
Stocking manga

http://www.japanexperterna.se/

 
 ハルヒダンスやらきすたの某神社がマスメディアに取り上げられたことにより、作品を知らない人への認知が進んだ。メディアが取り上げることが鑑賞のきっかけとなった人も多いのでは?
 
 それ以降は「世間一般がイメージするオタク的風貌」をしていない人がアニメを見ていると言いはじめたりした。爽やかな見た目をした好青年の携帯待ち受けが深夜アニメキャラという事態が発生した。アニメなんかには興味がなさそうな 見た目をした人が、アニメを見ていたり、美少女(美少年)がたくさん出てくるゲームをプレイしている。そんな人が明らかに増えたように見受けられる。
 メディアが深夜アニメを報道したことと電車男の影響で「オタク」の印象が変化し始めたのだろう。
 
 個人的はパチンコパチスロがアニメとのタイアップを強化したことも挙げておきたい。04年登場のCRエヴァンゲリオンの存在は欠かせないはず。これまではアニメとは全くの無関係で、無関心な層にエヴァという存在を認知させることが出来ただろうし、作品ファンをホールに向かわせる契機になった。
 CRエヴァはヒット作となり、その後アニメのタイアップ機が続々と登場することになる。パチンコ化により、原作を知らない人にも認知させることがこれまで以上に容易になっていった。
 パチンコパチスロファンがホールでの出会いを契機に、アニメを見始めるという流れが形成されたはずだ。アンケート調査をしたわけではないから、これも個人の推論だけど。
 そもそも、ギャンブル好きな人とアニメ趣味ってどうにも結びつかない気がするしね。

 パチンコパチスロのおかげで、世間がアニメを受容することを加速させたと思う。アニメに興味のない層がアニメを見始めるきっかけがホールに存在しているのだ。チャラそうなお兄さんやお姉さんが、パチンコパチスロをきっかけにアニメを見ることは多いんじゃないのかな。実際にそういった人達が携帯の待ち受けをアニメキャラにしていることはあるしね。
 だからアニメを見ている=オタクという図式は崩れていると見ていいだろう。

じゃあ今のオタクってなんなんだよ・・・


 かつてはいい歳した人がアニメを見ている、二次元コンテンツを見ている、眺めているだけで即刻「オタク」と呼ばれた。
 

でも今は「アニメなどのコンテンツを嗜好する人」をオタクとは言わない。それに触れていて普通だからだ。そして、それでコミュニケーションを図る。
 このような図式が出来ているから「気持ち悪い」という印象は消え去っているのだ。


 ではオタクという言葉が消えたのか?
 それは今でも消えていない。今でも残っている。
 

 SNSや街中で見聞きする「オタク」はステレオタイプのままだ。
 見た目が気持ち悪い、そんな人がオタクと言われる傾向が今でも続ていると思う。「オタク」という言葉のはステレオタイプの意味だけが現代まで残ってしまった。

 

 だが、昔との決定的な差異と言えば、これまで記してきたように「アニメ」や「漫画」などの二次元コンテンツに触れているだけで「オタク」とは呼ばれなくなった点だ。
 今では学校で昨日見たアニメの話をすることは自然の流れになっているだろう。カードゲームをする人だっているはずだ。そんなものは小学生まで、という大人が減ってきたのも要因だろう。若者の親世代もアニメや漫画の洗礼を受けているから、理解し寛容出来るのだろう。

 アニメを見る。ニコニコ動画でゲーム実況動画やMADを見る、Pixivでイラストを見る、果てにはそれらを投稿する側に回る。皆がそうしているから、自分もそうする。皆がやっていること、それ即ち自然なことだから「オタク」の感覚すら持っていない。赤信号みんなで渡れば怖くない、というわけではないがこの考えに限りなく近い時代になっているのだろう。
 アニメを見ることは当たり前。ニコニコ動画でボーカロイド楽曲に触れる事も、なにもかもが普通なのだ。そこに「オタク」を持ち込むこと自体が間違っている。そんな時代になった。

 10年ぐらい前に電車男が登場した時ですら、このような空気は無かったよね・・・。

 こういった若者たちを「にわか」や「ぬるオタ」と呼ぶ老害的な人々の存在も「ああ、俺らって別になんでもねーんだな」と思わせる原因なのでは。オタクはこうあるべきだという固定観念がオタクだと認識する人間を減らしているという現象が発生しているように思える。

 もはやステレオタイプそのものでなければ「オタク」とは呼ばれないのが現代。
 オタクは蔑称として存在しているが、二次元やゲームが好きだからという理由でオタクと呼ぶことは間違った世界になった。

 初音ミクがミュージックステーションに出てきたのも、そういったコンテンツが受容されてきている証拠だ。テレビの有名音楽番組に出ているものを「気持ち悪いわけがない」との認識する動きは今後加速するだろう。
 かつては奇異な目で見られ、見世物のような扱いを受けていた存在。完全ではないが世間に受け入れられたのだ。社会が商業的価値を見逃せなくなったことも大きいと思う。
 
 ラブライブを筆頭に、けいおんやまどマギの映画が20億前後の興収を記録し、今公開されている「心が叫びたがってるんだ。」も5日間で3億を超えている。このようなヒットから社会は受け入れざるを得ない状況が出来てしまったんじゃないのかな。
声優ライブが大入り満員になって全国を回ることも出てきているし、商業的に無視できないほど、オタクカルチャーという物が肥大化したことが「オタク」という概念が瓦解する要因の一つになったのでは。

 様々な要因が複雑に絡み合い、オタクという言葉はステレオタイプだけを残し、それ以外は失われてしまったのだ。

住みやすい時代


 うらやましい時代になった。10年ぐらい前まではアニメを見ているだけで疎まれることが多かった。
 今や隠さずとも生きていける時代だ。コミュニケーションのツールとしてアニメなどが存在する時代。皆で楽しくワイワイと会話できるなんて素晴らしいじゃないか。

 趣味なんてそういうもの。誰かにとやかく言われる筋合いはない。他人の生活行動に首を突っ込んでくること自体がおかしい。
 アニメを見ているから子どもだとかいう決めつけが、前提として間違っていると思う。どんな趣味を持とうとも人の勝手だ。アニメやフィギュアにお金を突っ込む意味が分からないという意見もあるけれど、こちらからしてみると車やバイクに興味がないし、乗れればいいと思ってるから、そこに金を突っ込むことも理解できない。趣味なんてそんなもんだと思う。趣味は他人に理解されなくて当たり前じゃないのかと。
 理解できないからと蔑んだり馬鹿にすることは間違っているんじゃないのかと思う次第。

 若者には他の物を否定する感覚が薄いのではないのかな? だから、人目を気にせずに様々なコンテンツを楽しめるんじゃないのかと思う。
 昔のように面と向かって酷い言葉を突き付けてくる人間が減ったように感じられる。ネット上で叩かれることは多いけど、現実では特に障害が発生しないからね。

 だからアニメなどのコンテンツを嗜好する人々を指す意味で「オタク」という言葉を使うのが不適切な時代なんだろう。

 世間の目なんか気にせず自由気ままに楽しめる。
 古びた概念に問われれない存在こそ新世代の「オタク」である。同時に彼らは「オタク」でもない。そんな矛盾しつつも、隠れることをしない立派な存在が現代のコンテンツ産業を支えているのだろう。


 住みやすい時代って素晴らしいよね。干渉されずに色々と楽しめるって、本当にうらやましい。うーん、すんばらしい!