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【私は見た】ゴジラが初上陸した地、「大戸島」を訪ねてみた【たしかにあの島だ】

実は以前のブログからサルページした内容なんて言えない@Sanyontamaです。

今年のGWに大戸島に行ってきた。
え?大戸島なん聞いたことがない?

大戸島とは1954年にゴジラが日本に初上陸した場所だ。ゴジラの襲撃により島は壊滅状態となった。
その後大戸島は無人島と化し、現在は伝説の島として扱われている。

嘘です。1954年公開のゴジラの劇中でゴジラが初上陸した島です。
ロケ地は三重県の鳥羽市石鏡(いじか)となっている。その石鏡で撮影された映像が大戸島として使用されている。

まずは石鏡へのアクセス。
近鉄鳥羽駅から石鏡へはバスが出ている。いくつかのバス停を経ると石鏡へと到着。

鳥羽と言えば海の幸でも有名。大戸島探訪の道中に立ち寄った西村食堂は行列が出来ていたが、ここで昼食をとる。エビフライが異様なほど肉厚で「うんまあい!」と叫びたくなるほどに、プリプリだった。語彙が貧弱になるが、これ以外の表現が浮かばないほど上手かった。

やっぱり鳥羽は海の幸がうまい!と満足。西村食堂のすぐ近くにはゴジラがぬぅーっと顔を出したあの山が存在している。

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劇中ではこんな感じだったが、60年が経過して印象がかなり変化してしまった。

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建物が立ち並び、劇中とはすっかりと変わってしまったがこの辺りからゴジラが顔を出していた。
鳴き声が聞こえてきそうだ。通称「ゴジラ坂」と呼ばれているとのこと。

続いては本命の大戸島の浜。どうやら「大木の浜」と呼ばれているらしい。「扇の浜」じゃないよ!扇の浜と勘違いしてスマホで検索しても一向に出てこなかったので、凄く困ったんだよ!大木の浜だよ!間違いないでね!

その大木の浜は劇中のこのシーンで登場する。

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ゴジラが海に帰ったときに映し出された浜だ。この浜は現在も変わらぬまま存在している。

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こちらは60年前とほとんど変わらない姿を維持している。これを見た時には感動した。
なお、劇中と同じ角度から撮影するには石鏡第一ホテル神倶良の717号室に宿泊する必要があるので注意してほしい。結構お値段がした。

部屋から眺めた大戸島には大感動だが、目的は見る事ではなく、大戸島に上陸することだ。
なので、山道を下り大戸島へと向かったのだ。

ホテル「秀丸花ごころ」の駐車場わきが入口。

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とにかくここを下る。次にこんな場所に行きつく。

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なんだか帰ってこれなさそうな雰囲気があるが、とにかく突き進もう。ススメススメ。それ以外に道はない。本当にここ以外には道がないのだ。

そうして遂に大戸島に上陸した!

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辿り着いた瞬間イカダを探したくなる衝動に駆られる。
これが大戸島なのか・・・。同じ日本なのに、どこか異世界に飛び込んでしまったかのような不可思議な感覚が襲ってくる。ここにゴジラが上陸したのかと考えると感極まりそうになった。

お年寄りの海女さんがこの浜で作業をされていたので、道はきちんと整備されているから安心してほしい。ただし体力が必要になるので、その点の注意は必要だ。あと虫が多い。

そして上陸は終了。鳥羽駅へ戻り、最後は賀多神社へ向かった。
ここは劇中で神楽が行われた場面で使用されている。老人が「わけえ娘っ子を~」と講釈を垂れていたシーンだ。鳥羽駅から徒歩15分ほどの場所に存在している。

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今はすっかりと変わってしまったが、劇中の雰囲気を感じさせた。

60年前の映画だが今でも劇中同様の風景が残る作品は少ないと思われる。伝説的な初代ゴジラのロケ地となると海外からの注目度も高いはず。鳥羽市はもっとゴジラを押し出した方がいいのではと思えるほどだ。あの浜は劇中そのままなのだが、観光資源として有効活用できるはず。

海の幸もうまい。街の人は優しくて気前がいい。のんびりとして時間が流れていることもあり、完全に映画の世界へと飛び込んだような感覚に襲われる大戸島。
年末年始のご旅行にいかがだろうか。

【考察&解説】『シビル・ウォー』はスティーブ・ロジャースの物語に思えた話

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@Sanyontamaです。

キャプテンアメリカ シビル・ウォーの予告編が遂に解禁。
同名タイトルの原作はヒーロー同士の内紛を描いていたが、実写版もしっかりとその要素を投手する様子だ。


シビル・ウォーはアイアンマンも登場するため「アベンジャーズ2.5」や「アイアンマン4」的な立ち位置になるとも言われていた。
しかし、この予告を見る限りではしっかりと「キャプテンアメリカ」の物語に仕上がっていた。
予告編の重要な点を以下に要約した。

冒頭でキャップが「僕を覚えているか?」とバッキーに尋ねる。バッキーは「ああ、母親の名前はサラだ。君は靴に新聞紙を詰めていただろ」とキャップの家族や個人情報をスラスラと答える。
バッキーは指名手配だとキャップが発言する。

ハルクに登場したロス将軍がキャプテンアメリカに対し「多くの人間が君をヒーローだと認識しているが、なかにはそう考えていない人間もいる。管理されずに力を使うことは世界が許さない。何のビジョンも持たずに強大なチームを指揮している現実に世界が恐れている」と語りソコヴィア協定と書かれた冊子を手渡す。

ブラックウィドウがキャップに「バッキーが大切だということはわかるが、この件からは手を引くべきだ」と説得する。

アイアンマンがキャップの前に現れる。社長がキャップを殴りたいと苛立ちをあらわにし、険悪なムードが漂っている。
アイアンマンやウォーマシンに追われることになってもキャップはあきらめない。行く手を塞ぐすべての物と戦うと宣言する。

そしてアイアンマンとの闘いが始まる。
キャップは「すまない、他に手があればこんなことはしない。バッキーは友達なんだ」と語り、アイアンマンは「私もそうだった」と返答する。
キャップとバッキーがアイアンマンを殴る衝撃的な映像で予告は終了となる。


現代における唯一の親友


冒頭でバッキーがキャップことスティーブ・ロジャースの家族やクセを答えている。その解を聞いたキャップがどことなく安堵したような表情を見せている。
この短いやりとりで、キャップとバッキーの深い仲を簡潔に示しているのだ。

キャプテンアメリカになる前からの親友同士だったバッキーが現代に蘇った。バッキーはウィンターソルジャーとしてキャップの敵となった。しかし、それは洗脳されていたからだ。だからこそ、キャップは唯一の親友であるバッキーを殺めることをしなかった。予告編では彼らの和解から始まるも、政府はバッキーを許していないようだ。なぜならシールド崩壊の関係者だからだ。

キャプテンアメリカにとってバッキーは重要な存在だと言える。
「キャプテンアメリカ」にはアイアンマンやソーといった仲間がいる。しかし、それは「キャプテンアメリカというヒーロー」としての仲間だ。
盾を置き、マスクを脱いだ時に彼は「スティーブ・ロジャース」という一個人になる。その個人としての友人は現代には存在しない。彼は第二次大戦で時間が止まっていて、今でもそのギャップから完全に抜け切れていない。

だがそんな彼の元にバッキーが現れた。
キャプテンアメリカ以前からの親友であり、自身と似た運命をたどり現代に現れたバッキーこそがスティーブ・ロジャースという存在における唯一の親友なのだ。スティーブにとってはバッキーだけが真に心を許せる存在なのだろう。
だからこそ、バッキーが真の意味で「親友」なのではなかろうか。

予告編ではバッキーが未だ指名手配であり、政府が彼を追いかけていると判明している。そんな彼を守るとスティーブは決意している。友人だからだ。
かつてバッキーがスティーブを支えたように、今回は自分がバッキーを支える時だと考えているのではないだろうか。

ファーストアベンジャーズではバッキーがスティーブを慰めて肩に手を置く場面があった。
シビル・ウォーの予告編ではそのアンサーと思しき場面が挿入されている。

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窮地に立たされたバッキーをスティーブが守ろうとしていることはわかる。
それがこの肩に手を置く場面なのだろう。安心しろ、自分がついていると慰めているように見える。

原作では超人登録法賛成派のアイアンマンと反対派のキャプテンアメリカが対立した。映画版でもその登録法は少なからず関係しているだろうが、その上にバッキーも関わってくるのだろう。

バッキーは洗脳時に破壊活動を行いシールド崩壊の関係者となった。予告ではバッキーが正気を取り戻しているが、世間はそれを知らないとのキャップが語っている。アイアンマンも「制御できなければ悪と同じ」と語っていることから、世間ではバッキーがウィンターソルジャーのままであると認識されているのかもしれない。
だからこそ、超人的な力を持つバッキーを引き渡し、政府の管理下に置くべきだとアイアンマンは考えているのだろうか。それに反対するキャップと激突する流れなのだろうか。
この辺りはハッキリとしていないので、想像で語るしかないが、とにかく登録法とバッキーが物語に関わってくることだけは確かだ。

第二次大戦、そしてニューヨーク決戦、シールド崩壊に関わったキャプテンアメリカは自分自身の力で自由を勝ち取る重大さを理解している。自由は誰かに強いられるものではなく、誰かの元で作り上げるものではない。政府の管理下に入った場合、それはヒーローではなくただの軍隊や警察だと彼は考えているのだろうか。そこに自由はない。制約下で自由を勝ち取ることはできないと彼は理解している。
だからこそ、登録法に反対するのだろう。そして、あまりにも高潔だからこそ、唯一の親友であるバッキーに対して盲目的になってしまうのだろうか。

今回はキャプテンアメリカとして戦いに身を投じていく側面もあるだろうが、それ以前に「スティーブ・ロジャース」個人として戦いに身を投じていくのでは。
真の意味で親友と言える唯一の存在を守りたい。自由や平和、安全を守るというヒーローとしての信念もあるだろうが、それ以上に友を守るという個人的な情が全てを超越しているように見えてくるのだ。
親友であるバッキーを何が何でも守りたい。たとえ仲間であるアイアンマンと戦う羽目になっても、彼を守りたいと考えている。ヒーローやチームといった枠を飛び越え、完全に一個人として戦いに身を投じていくのだろう。

これは完全にキャプテンアメリカではなくスティーブ・ロジャースの心情だろう。シビル・ウォーとはキャプテンアメリカの物語でもあり、同時にスティーブ・ロジャースの物語でもあるはずだ。

予告ラストでキャップとバッキーが共闘しアイアンマンを殴る場面がある。

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どこまでも追いかけてくるアイアンマンを止めるために、二人は本気を出して戦っている。
バッキーの自由、そしてキャプテンアメリカの自由。キャップは友の自由を守るために彼らは戦っているし、バッキーは自由を勝ち取るために戦っているのだろう。
自分の自由を勝ち取るとの理由もあるが同時に友であるスティーブを追い詰めるアイアンマンを止めなければならぬと考えている可能性もあり得る。
図らずともバッキーはキャップと似た心情になっているのかもしれない。友を守るため。それは二人とも同じなのだろう。

哀しき対立


キャプテンアメリカは仲間であるアイアンマンよりも友であるバッキーを選んだ。
予告でキャップは「バッキーは友達なんだ」と発言し、アイアンマンは「私もそうだった」と悲しい返答を行った。

かつて命がけで世界を守るために戦った仲間が、自分ではなくテロリストを選択したことへの怒りと悲しみが存在しているはずだ。

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私もそうだった。
その返答をした時のアイアンマンは悲し気な顔をしている。

ソコヴィア決戦でアベンジャーズは「団結」という言葉を多用していた。だからこそ、アイアンマンはキャップを仲間として信頼していたし、そしてヒーローを飛び越え個人的な友としても認めていたのだろう。そんな彼が裏切ったのだから、悲し気な表情になるのも当然だ。

バッキー・キャップのタッグがアイアンマンを攻め立てる場面でもアイアンマンは本気を出せない。友を殺めたくはないからだ。本気を出せば二人は確実に死ぬ。だからこそ、本気を出せない。躊躇するからこそ、一方的に攻撃を浴びせられるのだ。

対してバッキー・キャップ本気だ。キャップは目の前で強大な力を目の当たりにしているから、生半可な気持ちと力では彼に敵わないと理解している。本気を出して戦わなければ死ぬし、アイアンマンを止めることが出来ないのだ。

友のために本気を出せないアイアンマンと、友のために本気で戦うキャプテンアメリカ。
葛藤と本気の対立構造が見事だ。アイアンマンが友の情を捨て去る時が来るのだろうか。

対立しあう彼らはどのような終着点を見出すのか。それが本当に想像できないのだからやってくれる。

娯楽路線から緩やかにハード路線へと舵を切っていたが、ここにきてそのハードさが存分に発揮された。
アベンジャーズというチームはどのような存在へと変貌するのだろうか。対立構造からいかなる形でインフィニティーウォーへと繋がるのか。それが全く見えてこないから面白い。

MCUという世界がどのような終わりを向かるのか、ますます目が離せなくなったことは確かだ。


なぜ『白鯨との闘い』のポスターはダサイのか?その理由は『仕方がない』ことだった

クジラを生で見たことがない@Sanyontamaです。

「白鯨との闘い」という映画がある。「白鯨」の元となった事件を描いた作品だ。
日本では16年1月16日に公開予定であり、賞レース本命とも言われている。そんな期待値の高い作品でひと騒動発生していた。

それは「ポスターがダサイ」という層どうなのだ。
ダサイポスターといえばアベンジャーズが記憶に新しく、またしても日本の宣伝がやらかしたのかと思ってしまった。

まずはポスターを見比べてみたい。

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こちらはアメリカで使用されているポスターだ。一見すると怪獣映画を連想させる図柄だ。鯨が鯨には思えない巨大生物に見えてくる。
このポスターは必要最低限の要素しか見せていない。巨大な生物の目玉が不安感をあおり、謎に満ちた絵柄も相俟って期待を煽る仕様になっている。

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こちらが日本で発表されたポスターだ。俳優陣とキャッチコピーが目立つ。アメリカ版とは違った仕様だ。別作品かと思えるほど印象が異なっている。

アメリカ版と日本発表ポスターの見比べてみると、やはり日本発表ポスターがダサイと言われる理由もわかる。

日本発表ポスターはクリスヘムズワースを押し出している。彼はマイティ・ソー役で知名度を得ているから、まずは俳優で作品を認知させた方が良いと考えているのだろう。つまり作品内容よりも俳優で釣る作戦に出た。いつもの日本的なやり方がここでも発揮されてしまった。また日本の宣伝がやらかしたのか、と残念な気分になった。

だが待ってほしい。日本発表ポスターがダサいのは仕方がないことなのだ。今回ばかりは日本に文句を言うことは間違っている。

なぜ仕方がないのかと言うと、このポスターは国際版の1種類でしかないからだ。

このサイトが報じているように、日本で発表されたポスターは国際版の1種類でしかない。だから日本がやらかしたのではないわけだ。そもそもの国際版がダサかったということ・・・。

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イギリス版。

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台湾版。

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香港版。

同様のポスターを使用しいる国はほかにも存在しており、どれも「名著、白鯨の元になった実話」との文字が記載されている。日本版は文字が大きいだけで、名著白鯨~との文字すらも国際版ポスターに記載されている。文字の体裁や大きさは違えども、基本は国際版に則った仕様だ。

つまり、ダサいと感じる理由は国際版ポスターにある。なので日本の配給元や宣伝会社、日本の風潮に文句を言うことは残念ながら大間違いなのだ・・・。

日本がやらかしたのではないとの事実だけは伝えておきたい。

文字がでかすぎる点がダサさに拍車をかけているようにも思えるので、その点はに対しては文句を言っても大丈夫なのでは?

これだけはやめておけ!布教の際に避けるべき10のNG項目

202/365 -  Light of the World.


徳を積みたい。@Sanyontamaです。

布教活動という物がある。
宗教のお話ではない。
趣味や好きな物を相手に薦めることを「布教」と称する。いわゆるスラングというものだ。

布教を行う理由としてはファンを増やしたい、自分がハマっている分野に他人を引き込み語らいたいなどの思惑が存在しているわけだ。
布教活動というのは、自分がやっているときは楽しい。でも他人にやられるとなぜだか癪に障り、不快に感じることがあると思う。
ネットで漫画やアニメの掲示板などを見ていると不愉快な布教活動を良く目にするし、自分も布教活動で相手を不愉快にさせていることもある。

布教活動って難しい物だ強く感じる。だから個人的に考えた布教活動のNG項目を紹介していこうと思う。

流行をアピールする


例文「○○はいま凄く流行っているから見てみると良い」

布教してくる人が流行に左右されているだけに思えてしまい、そこには信念が無いように見えてくる。
「見てないと世間から遅れてるぞ!かっこわるいぞ!」なんて思っているのではと穿った見方をしてしまうし、その作品は一過性の流行でしかなく、いつかは忘れ去られる物だと考えてしまう。
作品や宣教師にとってもマイナスな印象を与えてしまうので避けるべき項目。

初心者向け


例「○○シリーズの初心者向けはこの作品」

やりがち。私もやった過去がある。初心者向けってなんだよ。一体どういった基準で決めるのか。その基準が明文化されているなら納得できるが、大多数はとりあえず初心者向けと書いているだけに思える。初心者向けの理由がさっぱりわからない。お前はそのシリーズを代表するファンなのかと思ってしまう。じゃあ玄人向けは何なんだよ、と言いたくなる。
初心者向けというのなら「なぜ初心者向けなのか」を明文化すべきだと思う。安易に初心者向けと表記するのはやめるべきなのでは。

他の作品に似ている


例「××は○○に似ているから、見やすいんじゃないのかな?」

お、パクリか?との第一印象を与えてしまうNGワード。
作品を貶していると思う人もいるため危険性が高い項目。他と比較しなければ作品を布教できないのなら、布教は辞めた方がいい。褒め言葉ではないよ。劣化作品と印象付けてしまう可能性大。

無駄に熱く語りすぎる


例「○△はこうで、こうだから、こうなんだよ!だから面白い!」

好きな作品を布教するときに、自分がどれだけこの作品にほれ込んでいるかを熱弁する。最初はいいのだが、どんどん相手が気持ち悪く見えてくるし、宗教的な熱を感じるので、熱く語りすぎるのはやめておいた方がいい。これが信者か、と距離を置きたくなる可能性も出てくる。
熱量はほどほどにし、理路整然と理由を述べると良いだろう。

すげー面白いから!


例「×△は滅茶苦茶面白いから絶対に見ろ!」

面白さの基準は人それぞれなので絶対との評価で期待が高まり、鑑賞してみると実際にはそれほどでもなかった場合はショックが大きい。
後日「×△はどうだった!?」と尋ねられた際は返答に困ってしまうので、これもNGワード。

他の作品を貶して、布教したい作品を持ち上げる


例「そんなのは見るだけ無駄だからこれだけ見ればいい」

他作品を貶して、お勧めしたいものを持ち上げる布教方法。そもそも、これは布教活動でもなくただの罵詈雑言。相手が貶した作品のファンだった場合はアンチが誕生するきっかけになりうる項目。これは絶対に避けるべき。

同じ作者だから安心できる


例「△□は○×と同じ作者だから安心して読んでみろ」

同じ作者でも作品が違えば内容も違うし、ジャンルも違う場合がある。その作者が描くファンタジー世界観が好きなのに、同作者が描く不良漫画を薦められても読む気が起きない。同じ作者だから大丈夫だからだって!と言われても不良漫画は好みじゃないことがあり得る

このワードは相手が作者のファンであるならば効果は期待できる。しかし、特定の作品ファンだった場合はかなり危険。同作者の他作品を布教しても、相手が熱中できない可能性は大きいので、これもやめておいた方がいい項目。

ネタバレ全開


例「○○は~~~で~~~なんだ。だから作品に深みがあって面白い!」

使いがち。楽しみを削ぐのでやめておいた方がいい。ネタバレは最小限。キャラや物語なのは僅かに伝えることで相手を餓えさせるのがいいだろう。そうすることで見てみたいとの欲が自然と相手に湧いてくるはず。
ネタバレ全開は観る気を失わせる可能性が大きいので危険。ネタバレのバランスを考えるべき。

義務感を与える


例「○△が好きなら×□には触れておくべきだ」

義務感を与えることは「うるせー!大きなお世話だこの野郎!」と反発心を抱くのでNG。その人はその作品を楽しみたいだけ。元ネタや源流となった作品なんかは気にしてないし、それに触れていなければファンじゃないという風潮はFUCKだね。適当に緩く楽しむだけでは駄目なのだろうか。

見ないと損する


例「お前これ見てないの!? あり得ないだろ!?  損してるぞ!」

何が損なのか。見ていないと死ぬのだろうか。損するって何を損失するのだろうか。損するからと触れてみたが、つまらないと感じた場合こそ本当に損だと思える。損するというのは相手を見下しているようにも感じるので、避けるべきワード。触れたら何か得でもあるのかと問いたくなるお言葉。

 



今まで自分がやらかしてしまった、やられて不愉快だった項目を羅列した。NGワードって結構多い。

布教活動は楽しいものだけど、熱が入りすぎるあまり周りが見えなくなることもある。気づけば他作品を貶したり、無駄に長く語っていることもしばしばあるだろう。
相手を特定のジャンルに引き入れたい気持ちはわかるが、上手くやらなければアンチを生むことになりかねない。

布教活動という物は難しい。冷静に、だが熱さを必要とする。相手を自分の土俵に引きずり込むのはかなりのテクニックだと感じる今日この頃。作品や分野、そして相手による布教方法は大きく変わってくる。そこを見抜く事が重要だと考える。

読み手の好奇心をくすぐるレビューなんかを読むと憧れにも似た思いが浮かんでくる・・・。


大阪って映画鑑賞には理想の都市じゃないのか!?体感できる上映システムをまとめてみた!

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 日本の映画鑑賞環境が大きく変貌した2015年11月19日。
 スターウォーズの仕組まれたチケット争奪戦は沈静化しつつあるが、どの劇場で見るべきか未だに悩んでいる人は多いと思われる。

 スターウォーズが劇場選考を悩ませるのには理由がある。それは一部シーンがフィルムIMAXカメラで撮影されているからだ。
 そのフィルムIMAXカメラ撮影を楽しめる劇場は日本で1つしかない。監督の意図した真なるスターウォーズを鑑賞できるのは大阪にしかない。

 フィルムIMAXカメラで撮影された映像はシネマスコープやIMAX2Kデジタルとも大幅に異なる1.43:1のアスペクト比になる。
 説明しても分かりにくいので以下の画像を見たほうが早いだろう。こちらはフィルムIMAXカメラで撮影されたスタートレック/イントゥ・ダークネスで各上映システムの差異を示している。 

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※クリックで拡大

 左からシネマスコープ上映。真ん中がIMAX2Kデジタル上映。左がフィルムIMAXカメラで撮影された真の映像。

 フィルムIMAXカメラ撮影された映像は端的に言えば昔の4:3ブラウン管TVのようなアスペクト比で撮影する。その映像は今まではフィルムIMAXシアターでしか鑑賞できなかった。
 通常の映画館やIMAXデジタルシアターでは上下が切り取られた映像で鑑賞させられているのだ。IMAXデジタルなら最高の体験ができるとお思いの人も多いだろうが、フィルムIMAXカメラ撮影シーンが挿入された作品では、IMAXデジタルですら不完全な映像での鑑賞を強いられるのだ。

 今までフィルムIMAXの映像を楽しむには台湾かシドニーにいく必要があった。日本にはフィルムIMAXシアターが存在しないからだ。(福岡のスペースワールドに存在するがここは劇映画を上映しない)しかし次世代IMAXの登場で日本のIMAX事情は一変した。次世代IMAXなら1.43:1の映像が楽しめからだ。

 つまり、これから上映されるスターウォーズ、バットマンVSスーパーマンの完全な映像を楽しめる劇場は日本で1つしかないことになる。それが109シネマズ大阪エキスポシティだ。上の画像にある一番右の映像を大阪ならば味わえるということだ。

 1970年の大阪万博で世界初のIMAX上映が行われた。その記念すべき土地に日本初となる次世代IMAXがオープンしたことは何か運命的な物を感じてしまう。
 ちなみにスターウォーズの予告がばっちりと1.43:1だったのを確認済みなので安心して大阪に来てほしい。

 大阪は4DXやDolbyAtmosが存在しているので映画鑑賞には最適の都市と言っていいかもしれない。

 なので大阪で体感できるのは以下にまとめてみた。

  • 次世代IMAX(エキスポシティ)
  • IMAXデジタルシアター(ユナイテッドシネマ岸和田、109シネマズ箕面)
  • 4DX(四条畷、エキスポシティ)
  • Dolby Atmos(TOHOシネマズくずは、TOHOシネマズ梅田12月5日より)
  • TCX -TOHOシネマズオリジナルスクリーン規格- (くずは、梅田12月5日より)
  • Sony Digital cinema4K(梅田ブルク7やエキスポシティなど)
  • DOLBY 3D(布施ラインシネマ)
  • RealD 3D(各地のイオンシネマ)
  • Master Image(TOHOシネマズ梅田、泉北、鳳)
  • X pand(梅田ブルク7など)

 スターウォーズのようにフィルムIMAXカメラで撮影されたシーンが存在する作品の場合は次世代IMAX一択となる。
 それ以外の作品ならば見たいところでいいだろう。Atmos対応作品ならAtmosシアターだろうし、4Kマスター作品なら4Kシアターのように、作品にあった映画館選びをするといいかもしれない。

 現段階では大阪でしか味わえないシステムも存在している。逆に欠けているものもあるが、様々な映画上映システムが大阪には存在しているため、映画鑑賞に関しては理想に近い都市なのではないだろうか?

 あとはDolby Visionが来れば完璧なのだけど、これは難しそうだ。

 大阪にはこれがあるけど載ってないよ!という物があればお教えいただきたい。