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僕は『紙の本』を知らない

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祖父が死んだ。入退院を繰り返していたから覚悟をしていたのだけど、やってくるときは突然だから戸惑ってしまう。就職してからというもの、祖父とは盆と正月ぐらいにしか会っていなかった。僅かでも交流する時間を増やせていればと考えるけれど、後悔先に立たずという奴だ。悔やんでも過去が変わるわけではない。

葬儀を終える。両親も還暦を過ぎていたので会社にはしばらく休みを貰い遺品の整理を手伝うことにした。祖父の部屋は様々な物で溢れている。片づける癖がなかったようで、数年前に祖母が亡くなってからは部屋の散らかりっぷりに拍車がかかったようだ。あまりにも量が多すぎるせいで、僕は祖父の遺品をどう整理すればいいのかわからずにただ茫然としているしかなかった。まずどんなものがあるのかを調べなければならない。

段ボール箱が積み重なっている。持ち上げようとするとかなり重たい。予想外の重さに腰を痛めそうになる。何が入っているのかと思いあけてみると、くすんだ色の「紙の本」が大量に詰め込まれている。いつの時代の本だろうか。祖父の所有物だから数十年も昔の物になるはずだ。紙の本はひと箱ではなく、幾つもの段ボール箱に詰め込まれていた。僕は遺品の整理を忘れ人生で初めて見た「紙の本」に興奮し、いつの間にかページを捲り始めていた。

僕にとって本という物はスマホやタブレットで読むものと言う認識だ。
漫画や小説、雑誌から何まで書籍という存在は実体のないものだと刷り込まれていた。物心ついたときから電子書籍が「普通」だった。
スマホをポケットにタブレットを鞄に忍ばせればいつでもどこでも本が読める。僕は暇さえあれば漫画を読んでいる。電車の中や布団の中で、僕はひたすらに漫画を読むんだ。

今はペーパーレスの時代だ。昔はメモを取るにも紙が必要だったらしいけど、今はスマホに打ちこめばいい。タブレットがあれば手描き入力も行える。学生のときはタブレットに手描き入力した講義メモをクラウドで保存して友人と共有していた。
絵を描くのだってペンタブを使うから、下書きから仕上げまで全て紙いらずだ。
完全なるペーパーレスの時代に、僕は初めて紙の本に出会ってしまった。祖父の遺品と言う形で、初めて紙の本に触れたんだ。


両親が幼少の頃は本屋という販売店が存在していたらしい。僕はそれを映画や漫画でしか見たことがない。なぜなら現代では本屋が絶滅しているから。
そこはどのようなシステムで成り立っていたのだろう。紙の本がずらりと並んでいる光景はどんな風に見えるのだろうか。
昔は紙の本を貸し出す図書館もあった。コンビニですら紙の本が売っていたというのだから驚きだ。紙の本はデリケートなのに、コンビニなんて場所で乱雑に扱っても良かったのだろうか。昔と言うのは複雑怪奇すぎる。僕には想像がつかない世界だ。

厳密にいうと現代でも紙の本は完全に死滅していない。国会図書館に行けば紙の本に触れることが出来る。最新の書籍も紙の本として入手することも可能だ。受注生産という形で各出版社が購入を受け付けているらしい。これはかなりの時間とお金が必要になるらしい。昔に比べると印刷工場の数が激減していることが関係しているようだ。
以前、出版社のウェブサイトで紙の本の値段を見たときは漫画一冊で数千円の値段が必要だと書かれていた。

紙の本は保管のために物理的なライブラリ、昔は本棚とよんでいたらしいが、それを構築する必要がある。つまり保管するための設備費用が掛かることになる。
本棚は場所を取る。紙の本を大量に保管するには広い部屋が必要になる。広い部屋を借りるとなると家賃も高くなる。本のためにわざわざ高い家賃を支払うことは出来ない。だから紙の本は富裕層にしか扱えないものになっている。維持管理が出来るだけの余裕と資金があるからこそ購入に踏み切れるわけだ。それに比べて電子書籍は全てスマホやタブレットに収まってしまう。収まりきらない場合はクラウドに預ければいい。

電子書籍の方が便利だしこれが「普通」だから、僕は紙の本を羨ましいと思ったことはない。紙の本は高いし届くまで時間がかかるけど電子書籍なら購入すれば2,3秒後には読み始めることが出来る。読むまで何日も待つ必要があるなんて、僕には耐えられない。なんて気が長い人なんだろうかと尊敬してしまうほどだ。
紙の本は破損するし、劣化する。長期間の保存には向いていない。遺品である紙の本も丁寧に扱わないとページが散乱しそうなほど痛んでいる。こんな厄介な代物が普通だった時代があるなんて驚きだ。

なぜ現代で紙の本を選ぶ人がいるのだろうか。所有欲なんか電子書籍でも満たされるのになぜ紙の本なんだろうか。僕にはさっぱり理解できない。やっぱり、金持ちの自己満足なんだなと結論付けてしまう。そんな余裕がある点は羨ましいと言える。

昔の漫画や映画を見ていると紙の本が普通だった。現代の感覚からすると、昔の人は裕福だったのかと錯覚してしまう。場所を取る、保管に気を遣う。そんな厄介な代物を何十も何百も、人によっては何千冊も所有していたというのだ。現代っ子の僕は自宅に紙の本がずらりと並んでいる光景が想像できない。

母が祖父に聞いた話によると、昔の人は紙の本を何も考えず手軽に扱っていたらしい。昔は本もリサイクルでき、リサイクルショップなら一冊百円ぐらいで入手できたから破損したらそこで買い直せばいいし、そもそも新品に拘らなければ最初からそこで買えばいい。現代っ子は紙の本がデリケートで扱いにくい代物だと思い込んでいたけど、昔は扱いに無頓着だったようだ。

なんてことだ。紙の本はリサイクルや貸し借りも出来るのか。電子書籍はダウンロードしたら端末かアカウントを渡さなければ他人が閲覧できないシステムになっている。クラウドに預けてもアカウントを知っている人でなければ閲覧できない。
配信データだから中古で売り飛ばすという概念も存在しない。電子データを中古販売することは出来ないし、セキュリティーを突破して売却してしまうと法に引っかかる。
でも昔は貸し借りが出来たし、中古で売り飛ばすことが出来た。実物だからこそ、それが実現できたんだ。

僕は紙の本を不便だと感じる。外にいても漫画を全巻持ち運ぶことは出来ない。電子書籍ならそれが出来る。持ち運べる数が違うだけでも電子書籍の方が圧倒的に便利だ。
だけど市場でのリサイクルが容易に出来るという点は素晴らしいと思う。電子書籍だと読まなくなった本はデータを消すことしかできない。紙の本なら売却することや人にあげることも出来る。面白い本があればとにかく読んでみろと手渡すことができる。
友人と本を貸し借りする感覚はどんなものだろうか。僕はこれだけが気になってしまう。

友人の家に行くと本棚がある。それを見れば人の趣味が判別してしまう。場合によっては性癖まで理解できてしまう。昔はそうやって人の趣味嗜好を他人に伝搬させていたのだろう。
電子書籍だとそれが出来ない。スマホやタブレットは個人情報の塊だから他人に渡すことも出来ないし、見せることもしたくはない。他人に自分の趣味嗜好を理解してもらう機会を損失してしまう点と、リサイクルが出来ない点は電子書籍の敗北と言えるかもしれない。

祖父はどんな気持ちで紙の本を残したのだろう。
どうしようもないほど愛おしい作品だったんだと思う。子どもの頃か、大人になってからかは分からないけれど、大切な本を捨てることが出来なかったんだと思う。だから段ボール箱に詰め込んだまま、今日まで保存していたのだろ。それを僕は見つけてしまった。

僕も大切な作品だけは消さずに残している。そういえば祖父は電子書籍は読んだ気にならないと言っていた。古びた考えだと思う反面、祖父のいう事も理解できるんだ。
だって祖父は小さいころから紙の本に親しんできた。本と言えば紙が普通で、月日の移り変わりが紙を消し去っていった。そして、電子書籍が普通に置き換わった。
祖父はそれについていけなかった。電子書籍に切り替えようとしても、やっぱり自分の中にある普通を更新することが出来なかったんだろう。
初めて紙の本を手に取った今なら理解できる。

僕が電子書籍を手放して紙の本に移行することは出来ない。数冊だけなら受け入れられるかもしれないけど全てが紙に置き換わったら、僕はやっぱり拒絶してしまうんだろう。
だって僕にとっては電子書籍が「普通」だからだ。僕にとって本はスマホやタブレットで読むものだから紙に移行しろと言われても実行できるはずがない。

やっぱり、時代が違うんだと骨身に沁みてくる。
紙の本が普通だった人は、紙の重さを感じページを捲ってこそ「読む感覚」を初めて得られるのだろう。スマホの画面ではその感覚が得られない。だから拒絶してしまうんだろう。

普通ってのは厄介だ。
僕は祖父の「普通」である紙の本を受け入れられない。水や汚れ、折曲がりに気を遣わなければならないなんて、神経を使うだけだ。娯楽である本を読むのに神経を使うなんてことはしたくない。でも昔はそれが普通だったんだから、僕は過去で生活することは出来ないだろう。
時代が変われば普通が変化してしまうんだ。

まさか祖父の遺品から「普通」という概念を考えさせられるとは思わなかった。
不便で厄介な紙の本。これを読むとき、祖父の胸にはどんな感情が沸き起こったのだろうか。
祖父はもういない。だけど僕に過去の世界を残してくれた。ひと段落着いたら祖父の時代に足を踏み入れてみよう。そこにはどんな光景が広がっているのだろうか。祖父が居た時代に僕は旅立とうとしている。