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「J・J・エイブラムス」という天才を称賛したい

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天才を通り越して、映画界の至宝だと考えている@Sanyontamaです。

J・J・エイブラムスという男がいる。
映画やテレビで活躍し、様々なヒット作を手掛けた映像作家だ。話題の「スターウォーズ/フォースの覚醒」の監督脚本製作を手掛けている。
製作、脚本、監督のみならず作曲までこなせてしまう天才だ。
ロマンスからSFまで、相容れなさそうなジャンルを手掛けてしまうあたり、この男の頭はどうなっているのだろうかと気になるわけだ。

スターウォーズ/フォースの覚醒に関する記述があるのでネタバレに注意してほしい。

J・J・エイブラムスという男を意識したのはクローバーフィールドが最初だ。
劇場で予告を見た瞬間に電撃が走ったのを覚えている。自由の女神の頭部が吹っ飛んでくるという衝撃でしかない描写に硬直した。これは観に行かなければならないと、その瞬間に決めていた。どの作品にその予告が付いていたのすら思い出せないほどだ。本編の存在をかき消してしまうほどに、クローバーフィールドの衝撃が大きかった。

J.J.はクローバーフィールドで製作を担当している。徹底した秘密主義で制作が行われた。物語も怪獣から逃げる一般市民が撮影したビデオカメラという設定で進行し、謎が明確になることはなかった。
この作品で、J.J.という男は謎を与えるだけ与えて観客の興味を煽り高揚させることを得意としているのだと実感した。

謎を与えて興味を煽るプロモーションにより、クローバーフィールドは成功した。2500万ドルと言う製作費に対して全世界1億7000万ドルを超えるヒットを記録したのだ。
本編では謎が何一つ解決していない。それなのに、謎が謎を呼ぶプロモーションだけで観客を劇場に向かわせて利益を上げてしまった。その手腕はビジネスマンとして天才的と言える。この男はただ者じゃないと記憶した瞬間だった。

J.J.はスタートレックのリブートを監督した。新スタートレックの映画「ネメシス/S.T.X」は興行的に失敗して続編も立ち消えになったらしい。
スタートレックのリブートが製作決定になった際、ファンはどのような気持ちだったのか。不安があったのか、それとも期待か。当時のファンに渦巻く感情を推し量ることは出来ない。
だけど、J.J.が監督をしたスタートレックをみてどう感じたのだろうか。恐らく立ち上がって叫びたくなるほどだったはずだ。

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スタートレックシリーズは見たことがないし、そもそもスタートレックをほとんど知らない。名前しか知らない状態だった当時の自分でもめまいがするほどに楽しめた。殴りこんでくるような怒涛の展開に目が離せなかった。
スタートレックというビッグシリーズを見事なまでに再起動させ、それでいてファン向けの二次創作にもなっていないという完璧な仕上がり。この男はやはりただ者ではないとの確信に重みが増した。
続編のイントゥ・ダークネスも見事な出来栄えで拍手を送りたくなる完璧さ。気づいたらJ.J.という男の虜になっていた。この男が作る映画にハズレはないんだな。そう考えてしまい、もはや神のように崇めていた。

そしてこの男がスターウォーズを監督すると聞いたときは硬直した。
あのスターウォーズをJ.J.が監督する?
その事実に歓喜と言うよりも不安が大きかった。
私はスターウォーザーではない。スターウォーズを見たことがあるが内容をほとんど覚えていないし、思い入れもない。なんとなく知っているとい程度だった。
だが、スターウォーズの偉大さは理解している。これはアメリカどころか映画を代表するシリーズだ。
映画コンテンツビジネスの嚆矢とも言われている作品であり、今なお世界中に多くのファンを抱えている現代の神話だ。
その神話の続編を製作するとなれば一大事件である。
様々な監督が名前に上がり、そして消えていった。みなスターウォーズという神話の重圧に耐えられないからと拒否したらしい。
それなのにJ.J.は監督することを受け入れた。彼はスターウォーズファンのようだ。ついに来たか、と感情が高ぶっていたのかもしれない。だが一度は監督を拒否したという報道が流れたため、彼の葛藤が見て取れる。

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実際に作るのと見るのでは立場が違う。
ファンだから、俺はこの作品を深く知っているから、と単純な理由で制作していけば、ファンが喜ぶだけの二次創作にしかならない。実際にそうなった作品は古今東西にありふれている。
J.J.が監督を拒否した際は「観客でいたい」との理由だった。大好きだからこそ、作りたくない。世界を汚したくないという気持ちがあったのだろう。そこには「自分が作れば独りよがりのスターウォーズになってしまうかもしれない」との悩みがあったのかもしれない。だからこそ、一人の観客としてスターウォーズを見続けていたいと考えていたのだろう。世界を汚したくない気持ちが強かったのだ。
しかし、J.J.は監督を承諾した。どういう経緯があったのかは分からないけれど、これは大きな決断というよりも、ある意味死にに行くようなものだろう。
神話の続きを構築しなければならないのだ。これを失敗させてしまうと彼は映画界から追放にも似た扱いを受けるだろうし、面汚しとして永久に名を残してしまう。
それほどの重圧が存在する、一大シリーズだ。それなのに、承諾したのだから彼の神経は相当図太いのかもしれない。
そして、彼はフォースの覚醒を完成させた。


事前情報は予告編以外にほとんど公開されていない。クローバーフィールドを思い起こさせる秘密主義だ。またしても、観客の期待を煽りに煽るJ.J.節がさく裂した。そんな持ち味を生かしまくるJ.J.はスターウォーズをどのような作品に仕上げているのだろうかと気になって仕方がない。

そして、フォースの覚醒を公開日に鑑賞した。
何度も言うがスターウォーズに思い入れはないし、シリーズも漠然とした認識しか存在していない。見たことがあるのはEP3と4ぐらい火山でアナキンがダークサイドに堕ちた場面しか記憶にない初心者だ。
世界が盛り上がる祭りだからと勢いで鑑賞してみたが、どういうことなのだろうか。
不思議なことに「なつかしさ」を感じさせた。なぜだろう、私はこの人たちを昔から知っている身近な存在に思えてしまった。ああ、帰ってきたのだなと、ハン・ソロやレイアの姿を見て謎の安心感に襲われたほどだ。
フォースの覚醒は「あ、これスターウォーズだ」と初心者の私でもすぐに理解させるほどに、スターウォーズの形になっていた。完璧なほどに、見事なまでのスターウォーズがそこに存在した。

シリーズを見ていなくても理解できた。楽しめた。一本の映画として完全なる完成がなされていた。
物語が進んでいくにつれて画面から目が離せなくなり、遂にはEP8が待てない体になっていた。
ファン向けの二次創作でもない、そしてファンの独りよがりでもない完璧なまでの再起動。
我々が見たかった「スターウォーズ」をしっかりと提示してくれていたし、同時に「俺がやりたかったスターウォーズ」も見せてくれた。その「俺的スターウォーズ」も世界観を壊すこともなくスターウォーズの世界へ違和感なく組み込まれていた。

J・J・エイブラムスはスターウォーズを完全なる形で再起動させてしまった。
誰もが避けてきた神話を、この男は進めてしまったのだ。
ファンへのサービスと言う過去へ揺り戻すこともなく、そして独りよがりにもならない、確かなる歩み。
この男は本当に天才なのだとため息が出るほどだ。やってくれ、見事にやってくれた。

シリーズ未体験でもスターウォーズの世界へと引きずりこんでくれる。その魅惑の触手に私は完全に絡みつかれて離れることが出来なかった。
「なんてことだ、今までこんな壮大な神話を見てこなかったなんて、大ばか者だ」と自分の愚かさを嘆く始末。
でも、これでよかったのかもしれない。私はソロやレイアの立場ではなく、レイとフィンの立場で物語を追うことが出来るのだ。

これまでの作品を見てきた元来のファンが何を感じたのかを私は体験できる。何も知らないレイとフィンは私の写し鏡だった。だからこそ、この立場でスターウォーズの世界を体験できた私は様々な意味で幸福だと思える。シリーズ未体験者と同じ目線で物語を追えるキャラを配置し、そして元来ファンには齢を重ねたソロやレイアを配置することで観客のシンクロ率を上昇させる。どの観客でもキャラクターに感情移入できる作りになっている隙のなさ。あまりにも出来すぎているのだ。それほどの完璧さを誇っているがフォースの覚醒である。

フォースの覚醒で私の内にある何かが覚醒した。この神話を見届けようと決意できた。
過去に何があったのか、そして未来に何が起きるのか、フィンとレイと共にこれから私は見ていくのだ。

「フォースの覚醒」とはJ.J.の決断によりシリーズが再び歩み始めたという意味もあるだろう。そして、新たなファンを生みフォースを受け継がせるという意味も含んでいるのだ。

誰もが楽しめる。誰もが心を奪われる。そんな歩みをJ・J・エイブラムスはやってのけた。
この天才は、本当に天才だった。

アカデミー賞はJ・J・エイブラムスに監督賞、BB-8に助演ユニット賞を与えるべきだろう。