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せまひろかん

どこまでも

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ネタとガチと小説的な物が存在している

なぜ私は『ウルトラマンX』にユナイトできなかったのか? 歪みに満ちた作品を総括する

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こんにちは@Sanyontamaです。

ウルトラマンXが最終回を迎えた。まずはTVシリーズでありながら、さも当然のように映画並みの特撮を見せつけてきたスタッフ、世界観に説得力を持たせてくれたキャストには敬意を表したい。

映像面に関しては文句の付けどころが存在しないほどの完成度を誇っていた。テレビシリーズなのに贅沢な都市破壊を魅せてくれたし、戦闘もワンパターンに陥らず毎度毎度捻ってくるという姿勢には唸るしかない。

だが、この作品にはどうしても「ユナイト」しきれなかった。映像とキャストの好演には目を見張るものがある。だからこそ粗が目立った。シリーズ構成とまとめ方に不満があるのだ。

見えてこない軸


この作品が抱える最大の問題とは「物語の軸」が見えてこない点だ。
ウルトラマンXは怪獣との共生を目指す、ヒーロー物、怪獣者のアンチテーゼというべきテーマが存在している。
物語初期の段階では、確かに怪獣との共生という点を目指していた。主人公の大地もスパークドールズに圧縮された怪獣をいつかは元の姿に戻し、人類と共生する世界を作ろうと努力していた。
第2話のバードンも怪獣的ではなく生物として描こうとしていた。産卵を控えているために、ビルや鉄塔で巣をつくる生態は怪獣ではなく生物と呼べる描写であった。現実世界にも通じる有害鳥獣問題にもリンクする、社会的な問いかけを見せてくれた話でもある。
彼らを駆除することが本当に正しいことなのかと、視聴者に問いかける意味合いもあったはずだ。
彼らはただの生物であり、自分たちが生きるために巣をつくる。その巣をつくる行動が人間を恐怖に陥れている。そのような相容れない両者が、いかにして融和していくのかを描こうとする決意が見られた話がこの第2話だ。

このように物語初期の段階では「共生」というテーマが色濃く描かれていた。
だが、その共生というテーマは徐々に鳴りを潜めてゆく。
第5話ではウルトラマンゼロとの共演が行われ第8話ではマックスが登場した。この客演から、軸がブレ始めたように思える。
共生のテーマよりも客演の方向に舵を切った印象を受けた。特に第13話と第14話でのギンガ&ビクトリーとの共演が決定打だった。
大地はエクシードエックスの力を十分に発揮できていないから、ショウに特訓されるという流れが挿入される。
この流れを見て「こいつらは何をしているんだろうか」と寒気がした。怪獣との共生がテーマだったはずが、いつの間にか主人公の成長と言う物にテーマが置き換わった風に見えてしまったからだ。
特訓を行う暇があるのなら、共生社会を実現するために動くべきだ。特訓することで共生社会を構築できるとでもいうのだろうか。無駄な点に話数を割いたおかげで、共生というテーマがどんどんと薄まっていった。

特訓以降は「この作品は何がしたいのだろうか」と疑問が増大する一方となる。
共生というテーマを描こうとする努力は確かに感じられた。
ピグモン回も共生を強く意識した作劇だった。ピグモンは少女を助けた、だから親もピグモンを受け入れた。その流れはすんなりと受け入られる。だが、その受容は一部の人間にとどまっている。社会の一部分ではあるが受容されたという事実は確かに「共生」の第一歩ではある。
だが、その受容は家族と言う小さな社会組織でしか達成されていない。大地の理想とする共生社会というものとは程遠い結果でしかないのだ。

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その後は社会全体と怪獣が共生していく流れを描いていくのかと予想したが、そういう描写は一切存在せずにネクサスが登場し遂には最終回まで突っ走ってしまった。
なんだか勢いでごまかされたように思えこの作品は「共生」を描く気があったのかと問いたい気分に陥るのだ。
最終回のハイブリッドアーマーで共生が実現されたという意見もあるが、それは大きな見当違いだと思う。
大地は「怪獣を元の姿に戻し、人類と共生する社会」を夢見ていた。ハイブリッドアーマーでは共生の夢が果たせていないのだ。共生社会を描けなかったから、無理やり共生を感じさせる演出を行ったとしか思えない。

ウルトラマンXは怪獣との共生を描こうとする努力は見られたが、その最終形態である「怪獣と人類の完全なる融和による共生社会」という物は描かれなかった。社会の一部分でしか怪獣は受け入れられておらず、社会全体で見ると怪獣は恐ろしい存在のままでしかないのだ。
共生のテーマを描き切ろうとする努力は見られたが、ネクサスとの共演で努力すらも完全に捨て去ったように見えてしまった。
共生という未来の形は永遠に作られることなく物語は幕を閉じた。

結局何を描きたかったのだろうか。
母親の導きでエクシードエックスに目覚めていたことから、家族愛的な面も描きたかった風に見えてくる。最終回で両親の思いが判明するあたり家族愛もテーマの一つだったのかもしれない。その思いは突然に判明するので視聴者としては置いてけぼりな感じが強すぎた。
ウルトラフレアで行方不明になった両親を探す物語でもなかった。それなのに最終回直前で両親の声が突如届きその発信源の特定を始めた。まるで両親の行方を捜すことが物語の目的だと言うような突飛な流れだったのでついていけない。
共生に関してはこれまで述べたように描けてはいない。
過去のウルトラマンとの客演に重きを置くわけでもない。(これに主軸を置くとメビウスの焼き直しになるから仕方がないのだが)

何がしたいのかが見えてこない。そんな作品だった。
過去のウルトラマンと客演を始めたり、密着警察24時のパロディを行っていたり、「共生」を描く気が本当にあったのかと疑問に思えてしまう構成だった。

特撮は本当に素晴らしい。映画と言われても疑問が浮かばないほどのハイクオリティだったし、キャストの演技も作品に説得力を持たせていた。だからこそ、何を提示し何を訴えようとしたのかがますます分からない。この歪んだ構成こそがユナイトできない最たる理由なのだ。もっとテーマを固め、ぶれないように仕上げてほしかった。粗が目立ちすぎる残念な作品になってしまった。

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