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『チャッピー』カット騒動、規制道は死ぬことと見つけたり

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日本における洋画宣伝が泥沼化していく昨今。タレント吹き替えや、謎のキャッチコピーで宣伝を行うことも風物詩と化した気配がある。
ベイマックやマッドマックス、アベンジャーズなどの大作で違和感を覚える宣伝が行われている。

宣伝ならばまだいい。本編になんら影響を及ぼさないからだ。吹き替えがダメなら字幕を見ればいいだけだ。しかし、どうしても避けられない事件が起きた。規制という問題だ。

日本では5月に公開され、様々な意味で話題となったチャッピーの話。
日本公開版はアメリカ公開版と違い一部シーンを「カット」して公開すると発表があったのだ。

その編集されそぎ落とされたシーンというのは、ムースがアメリカの体を引きちぎるという物である。

ここで騒動当時における関係者の動きを復習したい。

本編のカットを発表した、ソニーピクチャーズ(SPE)日本のツイッター。

全ての発端がこの発表である。

4月15日のSPE日本のツイッターでは「監督の賛同を得た」と記載されている。
PG12にするための措置だとのこと。

R15を避け、より多くの観客を集め興行収入を上げることが目的なのだろうか?

当初はそう考えていた。
予告を見た限りでは、チャッピーのキャラクターならファミリー層を呼び込める可能性があるのではと私自身も考えていた。


レイティングを下げるということは幅広い層に見てもらうための措置のはずだ。そのため一部シーンをカットしてチャッピーはPG12で日本公開がなされた。PG12は保護者の同伴が適当とされる区分である。


基本的にはどの年齢でも鑑賞できる区分だ。しかし、

吹き替え版の上映がなかったことが私を混乱させた。低年齢層は字幕よりも吹き替えのほうが気楽に見れるはずなのだ。字幕だと読めない漢字が出現することもあり得る。
それなのに吹き替え版がないという事実。訳が分からず、わだかまりが残る結果となる。

ファミリー層や中学生などを幅広い層を呼び込むためのPG12化措置のはずではないのか?本心は別にあるのだろうか。考えても真意は見えてこなかった。

そして、このネット時代。

本作の監督であるニール氏にも騒動がすぐさま報告されてしまうのだ。監督もツイッターを使用しており、日本の方が監督へ「賛同を得た」という記述についての事実確認を行う。そのおかげで事態は予想だにしない方向へと進んでいく。

 

チャッピーは全世界で1つのバージョンしか存在していない。編集については何も言っていないと回答しているのだ。


ここで日本側と監督での協議がなかったと判明した。
SPEへの非難がさらに高まる結果になってしまう。

炎上は留まることをしらず。騒動をどう決着させるのか不安視しつつ、日本でチャッピーは公開された。
実際に鑑賞してみると作品自体の存在意義、根幹まで揺るがすほど問題のある「カット」にも思えなかった。ただニール監督の持ち味でもあるゴアシーンがカットされて存在しないとなると、やはりしっくりとは来ないわけだ。

月日は流れ劇場公開も終了しDVD/ブルーレイの発売が発表された。
忘れたころにSPEから声明文が発表されたのだ。

監督の了承は無かったとの告白がある、衝撃的な文面。
カットと映像加工を行ったというのである。合計で約6秒ほどは編集されたということになる。

製作者から許諾された編集権に基づく~という一文に注目したい。

アメリカ映画の編集権は製作側が有している。

ディレクターズ・カット - Wikipedia
そのため、製作者から許諾されたという文面は問題はないわけである。

製作者から編集権を許諾された。各国には独自のレイティングが存在しており、それに合わせるのは仕方ない。製作者もそれを理解しているから、日本側に編集を許可したのだろう。

製作側も映画はヒットしてほしいからだ。ショービジネスとはややこしいのである。
レイティングを下げることでより多くの集客を望めるからだ。一人でも多くの人が鑑賞してくれるだけで、利益は向上することになる。
企業行動としては何ら間違っていない。
 
最初からこの表現だけにしておけばよかったはずだ。
製作者から編集の許諾をもらったのであれば、監督から賛同を得た云々という文面は明かに必要がなかったはずだ。
製作者という単語に止めておけば、監督が反応することもなかったかもしれない。大炎上は避けられた可能性が大きいのだ。
監督の了承という文面があったせいで無断編集だという疑念が持ち上がることになるわけだ。そもそも編集権は製作側が有しているので、これは無断編集でないことになる。
 
こうなるとSPEの考えは理解し難い。製作側での判断で編集したのは何ら問題はないわけだ。ハリウッド映画では監督が編集権を有していること自体が稀と言われている。製作側という文面だけであれば、なんら問題は無い
しかし、問題は監督という記述なのだ。わざわざ監督という単語を出して巻き込むことに意味があったのか?

製作側の判断では納得はされないだろうから、監督の賛同を得ていることにしておけば観客は納得するとでも思ったのだろうか?
大多数の人が編集権を誰が握っているのかを知らないのだ。だから無断編集という疑念が湧き上がる。そこに至るという考えが浮かばなかったのだろうか?
編集権は製作側が有しているという事実を説明すればいいだけだ。なぜそれをせずに監督の賛同を得たと書いたのか?
 
理解不能な行動もさることながら、特筆すべきなのは不誠実さだ。
どの部分をどのように編集したのか、という質問に対しては答えられないというのだ。
世界各国に独自のレイティングが存在している。映画のみならずゲームや漫画にも存在しているのだ。
 

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多くの国では規制が入った場合は公開時に編集版という告知を行うのが慣例とされている。日本公開版チャッピーも編集をしたというアナウンスはしているので、義理は通していることとなる
国によっては編集内容やその理由までもを公開するらしい。イギリスは編集の詳細を発表するらしい。日本ではそのような慣習がなく「編集しました」としか公表しないのである。
ここまでの騒動に発展したのであれば、編集箇所の公表ぐらい行って然るべきだと強く思う。
どういう経緯があり、なぜ編集するに至ったのか。その顛末を公表してほしいと強く感じる。
そうすれば、見に行くか見に行かないかは事前に決めることができるのだ。
今回のように編集したというアナウンスだけでは、まるで闇鍋を突くかのような心境で鑑賞しなくてはならず、楽しんで鑑賞することは難しくなる。

もう一点。
なぜ監督の了承を得たという虚偽の発表を行ったのか。この事に対する説明が一切ないのだ。
この声明文のおかげで確定的なものが得られたが、ここから先は個人的な妄想になる。
監督と書いておけば観客は納得すると舐めた考えが、そこにはあったのではなかろうか?
ああ、監督の了承があるから仕方がない、と納得するとでも思ったのか?
結果は全くの逆であり、火に油どころかガソリンを注ぐ結果になってしまった。
観客をどう捉えているのか問いただしたいほどである。

一連の騒動で得をした人間は存在するのだろうか?
観客は完全版を劇場で鑑賞する術を断たれてしまう。
SPEも多数の「怒りの声」をが届き対応に追われ、会社の評価が下がることになる。
監督もSPE日本の予期せぬ行動に対応しなくてはならなくなってしまう。
関係者すべてが、不幸な結末をたどっているようにしか見えないのだ。
 

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騒動の余波なのかは不明だが日本ではチャッピーの成績は振るわなかった。そもそもこの作品は世界的にもあまりいい成績を残せなかったのだが・・・。
監督の了承を得たという虚偽の報告を行った点について説明があってもいいはずだ。
 
しかし、一向にその説明がないということは映画ファンをなめているとしか思えない。
DVD/BDに完全版が収録されるとのことだ。これが唯一の救いなのかもしれない。
監督は名前を出されたことを、どう考えているのか。SPEは罪しか生み出していない。打つ手が全て裏目に出ているのだ。
 
この騒動はもはや配給が作品を殺しているとしか思えないのだ
理解不能な規制は作品を死に導くという悪しき例になってしまった。
誰が一体得をしたのだろうか。規制による騒動は、興行不振という結末で幕を閉じたと思われたがそうではなかった。
規制内容の発表すらも、作品を殺しにかかっているようにしかみえない。
 
映画は映画館で見てこそなのに、映画館は不完全版だったというのだからやるせない。
これはディレクターズカットの発表などでもないのだ。
海外では普通に公開された「完全版」を日本だけ映画館の大スクリーンで見れずじまいという事実を消すことはできない。この不透明すぎる規制行為は作品の価値を殺しているのだ

そして、不誠実なSPEへの失望。配給会社自身も評価を地に落とす。

行き過ぎだ不可解な規制は死に通じているのだろう。

この騒動で映画業界に言いたいことがある。
レイティングの問題もあるし、映画を取り巻く環境だってあるだろう。だから日本向けに編集することも公開が延期になることも仕方がない。
なぜ編集するに至ったのか。「どこが問題で、だからこうした」という結末までしっかりと公表してほしいのだ。
そうすれば気持ちに整理を付けたうえで鑑賞することができるし、鑑賞しないこともできる。選択できるということは重要なことである。
 
この騒動で日本の映画業界は何か一つでも学んでほしい。
 


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