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感想『天気の子』 新海作品史上最も難解で恐ろしい作品

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この記事には重大なネタバレを含んでいます。

『天気の子』を見た。世界最速上映で鑑賞し、その後も数度劇場に足を運んだ。
率直に言うとこれは非常に難解な作品だと感じた。

新海監督に追いつこうとおもったが追いつけなかった。遥か彼方、空の向こうに行ってしまったのだ。

新海監督のファンを10年以上続けているが、これほど難解な作品は初めてだ。

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”難解”というのは物語が複雑ななわけではない。
物語構造は『君の名は。』とほぼ変わらない。いたってシンプルな話だ。


雨を晴れにできる少女陽菜が力を使いすぎ、空へと旅立つ。少年帆高が少女を取り戻して終わる。

たったこれだけの話だ。君の名は。以上に単純な物語だと思う。


問題なのはラストだ。このラストが厄介なのだ。
陽菜は晴れに出来る力で数十年に一度の異常気象から関東の街を救う。しかし、代償として人柱となり空の世界へと旅立ってしまう。
帆高は陽菜を取り戻すため、空の世界へと向かい陽菜を取り戻す。だが、人柱を失った空は永遠の雨を降らせ東京を水没させてしまうのだ。

初見時はあまりの展開に衝撃を受けた。
君の名は。』を経た新海監督がまさか東京を変革させる物語を描いてしまうとは思っておらず、これをどう解釈すればいいのか全く見えてこなかった。

正直に言おう。
数度鑑賞しても未だに解釈を導き出せていない。

非常に難解なものを見せてきた。
これは”ハッピーエンド”にも見え、”バッドエンド”にも見えるからだ。

物語は帆高の視点で描かれている。彼の視点で追い続ければ最愛の人を取り戻したハッピーエンドで終わることが出来る。

 

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しかし、水没した東京の残された土地に住む老母がこんなことをいうのだ。「東京はかつて海だった。もとに戻っただけ」と。
東京の下町に住んでいたが降りやまない雨で家を追われ、孫たちのすむマンションへと引っ越してきたのだ。
このセリフはどこか諦観めいたものを感じさせるた。人は自然に敵わないからだろう。

帆高は陽菜を取り戻す前に「天気なんか狂っていたって良い!それでも陽菜を選ぶ」と叫んでいた。
水没した東京で彼は世界を変えたという自覚が確かに合った。
だから帆高は老婆の言葉に「すいません」ととっさに謝罪したのだろう。

このやりとりを見て、僕は「この作品は社会という単位で見るとバッドエンドなのだ」と感じた。

異常気象の最中、帆高を雇っていた編集プロ社長の須賀がこんなことを言う。
「人柱一人で狂った天気が元に戻るなら大歓迎」だと。
たった一人の犠牲で多くの命、都市が救われるのならば普通の人は納得し受け入れるかもしれない。

だが帆高は違う。世界よりも自分と自分の愛する人を選んだ。
エゴイズムが世界を変えてしまうのだ。

この作品がさらに難解になっているのは(おそらく)『君の名は。』と同じ世界である点だ。
天気の子は2021年が舞台だ。オカルト雑誌ムーには彗星が落ちた日という特集が組まれており、なんと瀧くんや三葉ちゃんまで登場している。
2021年は瀧くんが就活していた時期であり、三葉たちが東京で生活しているため『君の名は。』と同一の世界だと推測できる。

同一世界だとすれば新海監督はとんでもないことをしでかしてしまった。

瀧くんの行動で三葉たちは救われた。町は無くなることはどうやっても回避できなかったが。

天気の子は違う。回避しようと思えばできた。でもしなかった。
瀧くんと帆高は自らの意思で選択した。選択の結果、一方は救済を果たし、もう一方は変革につながってしまった。

君の名は。』で見せた救済を真っ向から否定するかのような作品だ。

変えられない、けれど生き抜いていこう。前に進もう、違う場所で人生を解き放とう。そんなメッセージを前作に込めたはずなのに、本作では「狂っていてもそれを受けいれいて生きていくしかない」と決意している。

君の名は。』と同一の世界でありながら自らそれを否定してきた。救済と全く異なる”受容”を描いてきた。
必死に進もうとした前作とは違う。救済された前作のような熱と疾走感は無くなり、どんな世界になろうとも生きていくしか。そんな諦観のような受容が描かれている。

最愛の人がいればそれでいい。世界がどうなろうと知ったことではない。そんな風にすら見えてくる。
まるで日本社会を映し出しているようだ。
君の名は。』から三年が経ち、日本社会も変質した。それを受け入れよう。大切な人がいればそれでいいじゃないかと説いている。
まるで変化を諦めているようにも思えてしまう始末だ。

この作品は本当にどう解釈したらいいのだろう。

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映画としての出来は『君の名は。』に遠く及ばない。
コミカルな場面も少しハズレて寒さすら覚えたし、劇伴の使い方が下手で映像に溶け込んでいない。無駄に感じる要素も多く、かなりチグハグな作品だ。

だけど、心にずっと重しのようにのしかかる。
東京を水没させた選択は果たして正しかったのか。どうすればよかったのか全く分からない。
先に進まなくていいのか?本当にありのままを受け入れただけでいいのか?
こうも感じてしまう。

世界と引き換えに最愛を選ぶ。まるで00年代のセカイ系を思い出す構造だ。
令和の時代に新海監督はかつて散々揶揄されたセカイ系を再構築し、それを再肯定してしまった。

この作品の答え導き出せない。恐らくないのだろう。自分なりの答えを探したいのに、見れば見るほど多様な解釈を生み出してしまう。

解釈次第でその人の思想や人生観まで炙り出してくるように思えてしまい、下手に論評することが怖くなる。
これほど多様な考えを生み出す作品を生み出してしまった新海監督があまりにもお揃いい。

一体どうすれば良いのか、この作品を一言で表せと言われたら僕は死ぬことを選ぶ。
それほど衝撃的な作品だ。

あと何度か見ると思う。だけど答えは導き出せないだろう。あまりにも難しすぎる。
降りやまない雨のように、僕の心に永遠と降り注ぎやがて溺れてしまうのだろうか。