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『レッドマン』の唯一無二な暴力性について これは哲学の領域へと踏み込む

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こんにちは@Sanyontamaです。

レッドマンが流行っている。ウルトラマンシリーズに数えられる作品だ。
TLでは毎日のようにレッドマンの話題を目にする。

本編も3分ほどしかないのでサクッと観れる。

ただ、この作品は非常に地味な仕上がりになっている。特撮ヒーロー物にありがちな爆発もほぼない。光線技もない。合成もほとんどない。
撮影場所は山中や採石場だから、ミニチュアセットもない。異質な作品だ。
人間大のヒーローと怪獣が取っ組み合い、最後に止めを刺す。それだけの作品。

レッドマンはウルトラマンなどの企画段階で使用されていた名称だ。それがヒーローの名前として流用された。1972年に放送された子ども番組内で放送されていた。
それが16年4月1日からYoutubeの円谷公式チャンネルで配信され話題と運びだ。

本編も3分足らずなのになぜこれほど話題になるかと言うと、その暴力性ゆえだ。
山中などに現れる怪獣とレッドマンが戦う。武器のレッドアロー、レッドナイフを駆使して怪獣を退治していく。

それだけの作品なのだが、レッドマンは怪獣を執拗に痛めつける。
倒れた怪獣にレッドアローを何度も突き刺す。崖から突き落とす。黒焦げになった怪獣に止めを刺す念入りさ。

今の時代に放送すれば苦情が発生しかねない暴力っぷりだ。
倒したのだからそれでいいだろう、との甘い考えは通用しない。それがレッドマン。

なぜこれほどの暴力性を見せつけるのだろうと考えることがある。
これはもはや暴力ではなく惨殺とも言っていいほどであり、僕はヒーローとは何かという哲学にふけってしまう。

予算の問題なのだろうか。
同時期にウルトラマンAを放送していたこともあり、円谷プロ内の予算はほぼ全てそちらに回っていたと思われる。レッドマンには微々たる予算しかなかったのでは。
本編映像からも低予算の香りは漂ってきていて、怪獣のスーツはボロボロだし、アトラクション用を流用していることもある。
そんな怪獣達の姿は死期間近な老齢のようにしか見えない。

くたびれて、後は死ぬ未来しかない怪獣達を執拗に痛めつけるレッドマンの姿は、まるでおやじ狩りにダブって見える。強者の立場、体力のある立場から、幾ばくも無い命を弄ぶ赤い男に見えてしまう。

特撮ヒーローのお約束がない点も暴力性を際立たせている要因だと思う。
なぜ怪獣がやってくるのか、なぜ暴れるのか。敵には敵なりのバックボーンが存在しているわけで、ヒーローはそれに対抗するため戦う。これがお約束の展開だ。
でもレッドマンにはそれがない。
本編が短すぎるから、そんな要素を挿入する隙がないんだろう。本放送時は怪獣おじさんなる人物が怪獣解説を行っていたようだが、そこで暴れる理由などが語られていたかは分からない。

レッドマンが戦う理由も、その土地がどこなのかもわからない。情報があまりにもすくないから、暴力だけが強調されてしまうのではなかろうか。

怪獣の屍は爆発せずにそのまま放置されるから、暴力の生々しさを見せつける結果になっている。
まさになれの果てだ。視聴者に死を見せつける。その屍にすら念入りに追い打ちをかけるのだから、ヒーローとはなにかと哲学にふけってしまうわけだ。

仮にミニチュアセットでもあれば、怪獣は地球を破壊しに来た悪い奴という視覚的情報を得ることが出来るので、レッドマンが戦う理由も自ずと見えてくる。つまりレッドマンのヒーロー性が幾ばくかは強調されるわけだ。

最後に怪獣が爆発するお約束でもあれば、心のざわつきもおさまったのだろうが、屍は放置されるからこそ、後味の悪さを生み出す。

何も分からない。
目の前で発生する戦いしか情報がない。
それがレッドマンの暴力性を際立たせる。執拗に怪獣を追い詰める様は、どこか楽しげにも見える点も見逃せない。

ウルトラマンのように声のバリエーションがない。いつも同じテンションで「レッドファイッ!」といい「レッドアロー!」と叫ぶ。それだけの抑揚も、高低も一切変化することがない。ボイスの統一もレッドマンの不気味さを増している。

フィルムの劣化具合も不穏さに拍車をかけている。

光線技もない。
合成もない。
セットもない。
レッドマンが戦う理由が分からない。
情報と言える情報が存在しない。
BGMは重々しい。

これは奇跡の産物だと言える。
様々な要素が見事に絡み合い、それが本編映像として落とし込まれることで完成する暴力。
チャンネルnecoで放送された際は「地球を守っている」とのナレーションが付け加えられたとWikipediaには書かれている。このような情報があれば、レッドマンはヒーローなのだと理解できるが、Youtube配信ではそれがないのだ。

レッドマンとは奇跡で成り立っている。

レッドマンはヒーローだという情報が得られない作品だからこそ、視聴者は不安になる。そして暴力性が光るのだ。
ヒーローとは独りよがりで成り立つものではない、ということをこの作品は伝えてきている。