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『刃牙シリーズ』はどうしてこのような体たらくになってしまったのか…

グラップラー刃牙 1 (少年チャンピオン・コミックス)


刃牙道が唐突に終了した。
いきなりすぎて混乱している。武蔵との戦いがあまりにも意味不明な決着でまた板垣先生が飽きたのかと辟易させられる事態。

最終回も最終回と呼べる代物ではなくもはや予告と言うような内容だった…。

刃牙シリーズはどうしてこんな体たらくになってしまったのだろうか…。

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刃牙シリーズとは最強とは何かを突き詰める作品だ。主人公刃牙が地上最強の父範馬勇次郎を倒すために日々強敵と戦ってゆく…。そんな単純な内容だ。

第一部『グラップラー刃牙』は傑作と呼んでい良い作品だった。
そもそも、この作品は物語よりも格闘描写が魅力の作品だ。だから物語が詰まらなくても肝心の格闘が面白ければ満足できた。
第一部は中盤以降は最大トーナメントという大会がメインとなり、奇想天外なマッチメイクと先の読めない緊迫したバトルが繰り広げられ、未だに語り草になっている。
全選手入場!はどこかで聞いたことがあるのでは?


刃牙は第一部の高い完成度により格闘漫画で不動の地位を得ることに成功し、少年チャンピオンの看板作品として長年君臨し続けることとなる。

第二部『バキ』は第一部では禁則事項だった武器ありの戦いが繰り広げられ世界中から脱獄してきた五人の死刑囚との戦いが描かれる。

今度は武器使用可能。更に高次元のバトルが描かれると誰もが期待していた。

しかしふたを開けてみると謎のスローペース。ベストバウトの筆頭として挙げられる『花山薫VSスペック』以降は内容が薄まり、物語の収拾方法を見失っているのではないだろうかと思えるほどに迷走を始める。


結局死刑囚編はうやむやのような終わり方となり舞台は中国の大擂台賽編へと移りまた最大トーナメントが開始されるのかと期待した…。はずだったのだが、これも途中でうやむやになった。そもそもトーナメントに作中最強で向かうところ敵など存在しない範馬勇次郎を出したのが失敗だったと思う。

その後も第二部は続き、続いてはアライジュニア編。これもまたぶん投げるような終わり方をした。

そう、刃牙は死刑囚編の中盤から狂ってきたのだ。そもそも物語作りそのものが下手なのではと穿ってしまうほどだ。構成があまりにも稚拙だと思う点が多すぎる。

それでも刃牙シリーズは続く。
第三部『範馬刃牙』ではとうとう原始人まで出てきてしまう。
最強とは何かを突き詰めた挙句、遂にはリアリズムを全く感じさせない存在まで登場してしまった。もはや意味がわからない。なぜ原始人なのか。しかも恐竜と戦っていたから強いという説明がつく。意味不明ないのに「なるほど」と思える板垣恵介先生の妙な説得力の強さには脱帽させられてしまう。

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そして第三部では刃牙VS勇次郎の親子対決が描かれる。さすがにこの対決はまともになるだろうと思っていたが、長期間戦い続けたにも関わらず「あ、これ落としどころ見失ってるわ」と感じる迷走っぷりが披露された。



ようやく最終決戦が来たのにこれかよ…。と脱力させられてしまった。


そしてようやく理解に至った。
板垣先生は思い付きで物語を進めているのだと。
未だに伝説として語り継がれる編集のコメントがある。
「先生打ち合わせと違うじゃないですか~~」というものだ。

う、打ち合わせと違う…?このコメントはおそらく編集も分かって書いているのだろうが、そこから見えてくるのは板垣先生が思い付きで物語を変更しているという半ば事実だろう。
第一部の最大トーナメントでは誰が勝利するかあらかじめ決めていたようだが、今ではその欠片すら見られない。

第四部『刃牙道』に至ってはあの剣豪宮本武蔵がクローンとなって蘇りかつては強キャラと部類されていた人気キャラたちをばっさばっさと倒していく。

そして本部以蔵というキャラがしゃしゃりでてくる。武蔵から仲間を守れるのは自分しかいないと言い始める始末だ。

いや、あんた最大トーナメントで横綱に負けたじゃないの…。なんでここで本部なのと困惑した。行き当たりばったりか?いや今回は意外にも何かを考えているのか?不安で胸が張り裂けそうな状況下で本部は作中でもトップクラスの実力を持つ烈海王の腕を折りかけ、読者を驚嘆させる快挙を成し遂げる。
いきなり強くなりすぎててもはや笑うしかない。あんたこんなに強かったの?
ファンの誰もが驚愕した一幕だ。

そんな本部は武蔵と戦い勝利したが物語はここで終わらず、やっぱり刃牙の出番となる。なんだかもう何がしたいのかわからない。本部の「守護る(まもる)」とは何だったのか。一体何のための本部だったのか。本部とは、本部が強くて何が悪いのだ。先生。
最後はやっぱり刃牙なのかと閉口した。もうどうしたいんだ先生。

そして刃牙道最終回は相撲キャラが登場。相撲の説明だけで終わる。何だこの最終回は。なんなんだこれは。ちょっと意味が分からない。

刃牙道最終回は最終回と言うよりも次章の予告のような内容だった。そんな最終回が許されてしまう…。そんな漫画がどこにあるのだろうか。否、刃牙だけだ。

結局、行き当たりばったりなのだこの漫画は。板垣先生のテンション次第で話がコロコロと変わる。原始人とは何だったのか。親子の対立とは何だったのか。
そんなものは置いておいて、今は描きたいことがあるから描く。ただそれだけの作品になってしまっている。

刃牙には読者がネットで予想しようものならそれを見て誰もが予想できない展開を描くという都市伝説がある。
実際にはそれは間違いなのだと個人的には思う。
一応ネットの評判は見ているのだろうけれど、それ以上に編集すらも口出しできない我が道を行っているだけなのだろう。

刃牙がこんな迷走以上の体たらくになったのにも関わらず連載が続いているのはなぜだろう。
良くも悪くも少年チャンピオンで話題になる作品と言えば刃牙だから、連載を許されるのも致し方がないのかもしれないのかもしれない…。

刃牙だからこそ何をしても許されてしまう。それが刃牙シリーズだ。

刃牙がこうなったのはもはや刃牙だから。そんな哲学的な結論に達するしかない。刃牙故に刃牙在りだ。つまりそういうことなのだ。刃牙だからこそ刃牙なのだ。

刃牙シリーズとは素晴らしいほどに狂っているのだ。だからこそ今後も追いかけていきたい。ここまで来たら追いかけるしかないのだ。それが刃牙ファンの宿命なのだ。

今後どのような展開を迎えても大手を振って迎え入れよう。そうするしかない。