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『キングコング 髑髏島の巨神』は過去への回答と新時代の到来を告げる

キングコング:髑髏島の巨神(字幕版)


久々に怪獣映画らしい怪獣映画を見た気がする。『シン・ゴジラ』は傑作なのだが、こちらはドキュメント調であり怪獣映画から逸脱した特異点ともいうべき仕上がりで、怪獣映画を見たというよりも「とんでもない物を見た」という感覚に陥ったが、キングコングは心が5歳に戻る怪獣映画になっている。

過去の東宝怪獣映画では予告に「怪獣映画の決定版」という文字が出てくるが、キングコングはまさにそれが当てはまる。
今回のキングコングは怪獣映画のセオリーを踏襲しながら、過去に対するアンサーを示しているように思えた。33年版のオリジナルキングコングへの強烈なアンチテーゼとも捉えられるアンサーがそこに存在した。

ネタバレがあるので未見の方は注意してください。

 

人間に対する警鐘


33年のオリジナルコングでは第一次大戦に投入された新兵器の航空機が活躍しコングを倒している。人類が夢見ていた空を飛ぶことまで可能となった人間が科学力で自然を支配できると錯覚し始めたことを意味していると思う。

今回の『髑髏島の巨神』は冷戦期の73年が舞台。冷戦による軍拡競争が起こり、遂には人類を月にまで送り届けるほどになった時代だ。
冒頭で機械は人間を越え、衛星で地球の全てを把握出来ると語られている。33年とは比較にならないほどに科学力と軍事力が向上しており、それはこれからもまだまだ続いていく。月に足跡を残した人間は自然に対する慢心が深刻化している時代だといえる。月にまで進出したのだから無理もない。自然は支配できるという錯覚がかつてとは比べ物にならないほど深刻化している。

劇中では14年公開の『GODZILLA』にも登場した『モナーク』が米軍を率いて髑髏島を調査する。しかし、調査団はコングによって壊滅的な被害を受ける。
何人もの部下を殺された米軍のパッカードは武力でコングを葬ろうとし、その考えに取り憑かれる。
コングという大自然の猛威を葬るために墜落したヘリに搭載された武器を捜し求めるパッカードの姿はまさに科学力と軍事力があればコングを倒せると思い込み、実際に倒してしまった33年版の思想、そして73年という軍拡時代そのものがパッカードに投影されている。

モナークに雇われ米軍とともに髑髏島に足を踏み入れた傭兵コンラッドもコングの洗礼を受けてしまい、髑髏島サバイバルを余儀なくされる。コンラッド達は島をさまよい続け、原住民と第二次大戦時に髑髏島へ落ちそこで生き続けた米軍兵ハンクと出会う。コンラッド達は彼らと交流していくことでコングの強大さと神聖さ、ひいては大自然の偉大さを理解していく。

ハンクは第二次大戦で時が止まっている。肉体は老いても心は未だにあの時で留まっているのだ。何十年も島に生き続け、科学力と軍事力が異様なほど向上している73年の現実を知らない。ハンクは純粋無垢な存在と捉えられる。だからこそ人間が足掻いても太刀打ちできない事実を受け入れることができたのだろう。ハンクは人間の根底にある本質、大自然に対する敬意を体現していると考える。

今回のコングは軍事力を狂信的に信奉するパッカード陣営と人間の本質に気づいたコンラッド陣営の対比構造だと考える。
人間がどうやっても支配できない存在がいる。しかし、それは狂信者には認知できない。だからこそパッカードはコングに殺されたし、スカルクローラー相手に自爆しようとした米軍兵コールは尻尾で吹き飛ばされた挙句に一人だけで爆死してしまう。
必死に考え抜いて行動する人間達を嘲笑するかのごとく、怪獣たちは人間を葬り去っていく。大自然の猛威を怪獣たちに置き換えることにより、人間が自然に敵わないという事実を表現しているのだ。

モナークも怪獣から人間を守る必要があると考えている。思想的にはパッカードと同じだ。モナークが島に爆弾を落とすことでコングを怒らせたという皮肉な展開だ。やはりこの作品は科学力軍事の盲信と大自然に対する畏敬の念がぶつかり合っている。

だからこそ33年オリジナルコングへのアンチテーゼめいたアンサーになるのだろうと考える。
航空機によって倒されたコングが、今度は自分に向かってくる航空機(ヘリ)を全てなぎ倒してゆく姿は33年版へのアンチテーゼといえる。。
まさに科学力で自然を支配することはできないとの解答を示したのだ。
冷戦期という科学力が右肩上がりに上昇する時代に物語を設定したことでこのようなアンサーを生み出せた。このアンサーは現代にも通じているはずだ。

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『モンスターバース』のテーマが見えてきた


ゴジラとキングコングの共通世界観『モンスターバース』のテーマが本作によってはっきりと見えてきた。

『GODZILLA』ではゴジラはペルム紀に生態系の頂点に君臨していた一族の末裔で人間の核実験により地上の放射能濃度上昇で再進出してきた設定だ。人間がゴジラを呼び寄せ、罪もないゴジラを核兵器による抹殺を試みたが失敗に終わっている。ゴジラは移動するだけで津波のような大波を発生させ、都市を破壊する。ミサイル攻撃などにも平然としている。その姿は動く大自然に猛威だ。

現代の強力な核兵器を使用してゴジラと二頭のMUTOを葬り去ろうと計画するが、核兵器はMUTOに奪われてしまい人間はその対応に右往左往させられる。
大自然の前には人間の力など到底及ばないということを示している。

そして20年にゴジラと対峙することになるキングコングも大自然の猛威として描かれた。

ゴジラとキングコングで見えてきた『モンスターバース』のテーマ。
それは"大自然の強大さ"なのだろう。
人間が怪獣を葬り去ろうと画策しても、怪獣たちはあざ笑うかのように行動していく。人間は混乱することしかできない。
大自然の強大さを怪獣に置き換えることで我々人間が自然の一部分でしかないという地球生態系の本質を示しているのだろう。

『キングコング 髑髏島の巨神』は強烈なまでに振り切れた娯楽性と監督の趣味を前回にしつつも、観客に地球生態系の本質と人間が忘れてしまったものを伝えてきたのだ。

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新時代の幕開け


日本では『シン・ゴジラ』が怪獣映画を新たな時代へと推し進めたように、アメリカでは『キングコング』が新時代の幕をこじ開けた。

『モンスターバース』が本格的に開始される。2014年のレジェンダリー版『GODZILLA』公開時には誰もが予想できなかったはずだ。
キングコング、ゴジラ、ラドン、モスラ、キングギドラが同じ世界に存在しているとは誰が想像できただろうか。
東宝怪獣とキングコングが入り乱れる誰もが夢見たが実現できなかった奇跡が遂に実現した。まさに怪獣映画の新時代が到来したといえよう。

アメリカの怪獣映画を牽引するのはやはり『キングコング』でなければならなかったのだろう。
奇しくも日米を代表する怪獣が新時代を切り開いたことには何か運命的なものを感じざるを得ない。

2019年に『怪獣王ゴジラ』、2020年は『ゴジラVSキングコング』が予定されている。この一大プロジェクトから目が離せない。