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せまひろかん

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放置されたブログやサイトが怖すぎて直視できない

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@Sanyontamaです。

00年代初めはインターネットブームというのか、個人でホームページを持つのがある種のステータス的な意味合いを持っていたと思う。Yahoo!Japanのディレクトリに登録を目指した人も多いだろう。Yahoo!という大手ポータルに登録されていれば、そのサイトは安心安全という扱いになるからだ。登録されればアクセス数もある程度は保障された時代。登録に至るまでの道筋は長く険しく、今でいうSEO対策などでは対処できない存在に憧れていた時代があった。

Flash黄金時代でもあり、テキストサイトが至る所に存在していたなつかしき過去。
当時は「ほーむぺえじでもつくってみっべ」と考える人は多かった。僕の周囲もそうで、実際に行動へ移した人もいたのだけど、大体はHTMLという難攻不落の要塞にぶち当たり、チートであるホームページビルダーに手を出してしまう。そんな苦みのある経験を持つ人もいるだろう。これもまた思い出というものだ。

時代は移り変わって、今ではブログやSNSが主流となった。個人でサイトを持つ人もいるが、ほとんどの場合はブログで代用しているんじゃなかろうか。より気軽さを求める人はSNSを使用しているだろう。

00年代に作られたサイト、そもそも2010年ですら6年前になってしまう2016年と言う現代。仮に2000年にオープンしたサイトは16年目を迎えるということになる。00年に生まれた子どもが今や高校生になるほどの年月だ。そもそも、90年代後半から個人サイトというものは存在していたから、子が成人していてもおかしくないほどの時が流れているのだ。


それほどの長期間を滞ることなく更新されているサイトは少ない。ほとんどが"ある日"に更新が止まってしまい、そのまま音沙汰がなくなってしまう。つまり、ネット上に廃墟が誕生してしまうのだ。
毎日のように足しげく通っていたサイトが廃墟になってもなかなか受け入れられない。更新が停止しても閲覧者にはわからない。いつかまた更新されるのだと思い込んで、それでもなおしばらくの間は通い続ける。そして更新されないはきょを見てふと気づくのだ。ああ、辞めちゃたんだな、飽きてしまったんだな、と。

ブログでも同じだ。あれほど頻繁に更新していたのに、いつの間にか更新が停止されてしまう。更新を待ち続けてもそれが起こることもなく、同じ道をたどってゆく。
飽きたのか、それとも心身に何かが起きたのか、と想像することはできても答えを見出すことはできない。管理人の名前も顔もしらないからだ。管理人に何が起きたのかを知る術がないから、閲覧者はただじっとハチ公のように待ち続けるしかない。

そうすると、いつの間にかサイトに通う頻度が減っていき、いつしか通うのをやめてしまう。自身の気づかぬうちに、サイトの存在を忘れてしまう。

でも、ある時ふっと思い出す。発作のように記憶がよみがえって「あのサイトは、ブログはどうなったのだろうか」と尋ねてしまう。
最終更新日時が5年前、下手をすると10年以上前ということもある。そういうのを見ていると、なんだか心に穴を穿たれた気分になってしまう。

ここには管理人のいろいろな思いが詰まっていたはずなのに、辞めてしまったのはなぜだろう。管理人もこの存在を忘れているのだろうか。
誰にも触れられることのなくなった廃墟は朽ちることはない。時が止まったまま、当時の状態を維持しており、管理人の帰りをただひたすらと待ち続けているのだ。

時々、事件が起きるとテレビや雑誌で犯人や被害者のブログやSNSアカウントがさらされてしまうことがある。そういうのを見ていると恐怖してしまう。
もし、自分の身に何かが起きた時、このブログやTwitterアカウントはどうなるんだろうか。何かの拍子でアカウント名を失念してしまい、永遠にログインできなくなるかもしれない。


更新できなくなったサイトには管理人の思想や想像が記録されている。ノートに書いた日記帳なら焼き尽くしてしまうことができるし、時間の経過で読めなくなることもある。だけどネットワーク上に存在するサイトは違うのだ。サービスが終了するまでは永久的に残り続ける。
サービスが終了してもコピペなどで拡散されることもある。なんて恐ろしいんだろう。

管理人が死んでも、サイトだけは永遠に残り続けるのだ。つまり自分の思想の一辺が永遠にさらされ続けることになる。
生きていても、更新をやめて存在を忘れてしまったサイトでも同じだ。時が止まったまま存在し続けている。今、このときも時を止めたサイトがそのままの姿で止まっている。
管理人の思いがつまった、サイトやブログにはある種"もう一人の自分"が存在しているのだ。もう一人の自分は永遠に成長することなく、停止した時に囚われ続ける。

恐ろしい。
今とは全く思想の違った自分がそこには存在する。いわゆる黒歴史というものが永遠と漂い続けているのだ。

サイトやブログは恥ずべき過去かもしれないし、そうでもないかもしれない。
管理人がどうなったかなんて知る由もない。だけど、放置され廃墟と化したサイトやブログを見ていると恐怖に支配される。管理人はどうして放置したんだろうと考えて、遂には生と死を考えてしまう。

管理人は死したのに、サイトだけは残ってしまうという矛盾的な現象。こんなサイトがあるのならば今すぐに閉鎖してやってほしい。あの世で死んでも死にきれない人もいるかもしれない。なんて恐ろしいんだろう。魂はあの世にあるのに、管理人が生きていた恥ずかしき記録だけは永遠に残るのだ。本当に恐ろしい。

SNSはサイトやブログよりも個人の色がより強くなるから、恐怖はより一層倍増する。
稀に「あの人はどうしたんだろう」と発作的に思い出し、アカウントを見てみると1年前でつぶやきが停止している。以前はどこへいった、何をしたと呟いていた人が無言になっているのだ。もしかすると、と考えてしまう。

だからこそ消してやってほしいと思う。その人が生きていたという証かもしれないけれど、閲覧者は想像することしかできないのだ。生きているのか死んでいるのか。呟かなくなった理由を想像するしかないから、恐ろしいのだ。
もし呟いた人が死を迎えていたのならば、つぶやきというのは一種の呪い的なものになると思える。ああ、この人はこれがしたかったんだろう、これが見たかったのに死んでしまったのか、と思うと胸が苦しくなる。今頃は化けて出てきているんじゃないのかと想像してしまう。個人の色がつよいのはある意味では怨念じみている気がするからだ。

本当に怖い。
放置されたサイトやブログ、SNSアカウントというのはなんて恐ろしいんだろう。
管理人は今どこで何をしているのか。生きているのか死んでいるのか。まったくもって分からないから恐ろしい。
1年間更新されなかったらメールを送信して、反応がなければ強制閉鎖するシステムでもつくってくれればいいのにと思う。

勝手に晒されることの無きように閉鎖してほしい。晒されでもしたら死んでも死にきれないだろう。自動で閉鎖してくれれば大勢の人が助かると思う。

ネットの世界はとてつもなく怖いのだ。永遠に消えることなく、自分の発言が、思想が残り続けるのだから。
放置されたサイトやブログは、僕たちに語り掛けるのだ。こうならないように最後はきちんとしろ、と。