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何で子どものときは「感想文」が嫌いだったんだろう

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@Sanyontamaです。

読書感想文というのがある。小学生の頃は夏休みの課題になっていた人も多いだろう。学校によっては課題図書が存在していたはずだ。手渡される200字や400字詰めの原稿用紙を見ると辟易してしまう。夏休み最終日まで放置してしまい慌てふためく。多くの人がそんな経験をしたはずだ。

そもそも、読書感想文が悪魔の所業に思えてしまう理由は活字に親しんでいないという点が大きいと思える。
子どもの頃は小説よりも漫画を読んでいる人の方が多いのでは。僕もその一人であり、中学生になるまでは漫画ばかりを読んでいた。コロコロコミックに熱中していた頃であり、活字なんてものには全く触れていなかった。だから読書感想文が出てくると困惑したのだ。小説なんか全く読まないから、どんな本を読めばいいのかがさっぱりと分からない。読み始めてみると時間がかかりすぎて全くページが進まない。漫画と違って物語が一向に進展しないからイライラしてしまい、遂には小説を放り投げてしまう。
そんな悪循環が発生して、そもそも読書感想文を執筆するというスタートラインに立つことすらできなかった。

僕はそんな理由で読書感想文が嫌いだったのだ。
小説が好きな人は読書感想文執筆が好きかというとそうでもない。どんな風に書けばいいのかが分からないから400字も書ける気がしない。そんな言葉を漏らす人も多かった。
自分で考えて感想を書くという作業はかなりつらいものだ。一体どのような視点から物語を捕えればいいのかが分からない。主人公目線で書けばいいのか、それとも全体の概要的な面から書くべきなのか、全く分からないのだ。

そもそも、僕は学校で読書感想文の書き方を学んだ記憶がない。同じ境遇の人も多いはずだ。
小学生の夏休みに突然現れた読書感想文という悪魔。それに対する対策が全く分からない。先生は「書きましょう」と言うだけで書き方は教えてくれない。だから書けない。だから自然と嫌いになってしまう。
今でも書き方が分からないという人は多いはずだ。今でも400字詰めの原稿用紙を手渡されて、感想文を書いてくれと言われたら硬直してしまうんじゃないだろうか。

これは読書感想文だけではない。演劇を見た後、講演を聞いた後にも感想文を書かされてしまう。
感想なんてものは人それぞれなのに「これではだめ」という教師も多い。だから嫌になるのだ。強制されて書かされるから感想文が嫌いになってしまうのだ。

だけど大人になった今ではどうだろうか。
大抵の感想文は原稿用紙一枚は書き上げるべしとの規定がある。それが200字か400字かは別として、とにかく1枚は書かされる。
Twitterの投稿制限文字数は140文字だ。400字詰め原稿用紙だとつぶやき3回分にも満たない文字数だ。200字詰め原稿用紙の場合は2回分にもならない。
不思議なものだ。子どもの頃は恐ろしかった200字や400字は今となっては特段の問題には思えない。常日頃からSNSやブログをやっている人なら「え、こんなに少なかったのか」と衝撃を受けるはずだ。

なんてことだろう。読書感想文なんか特に問題にすら思えなくなってしまう。書けと強制されても400字ぐらいならすぐに書き上げられる気がしてこないだろうか。
慣れというものは恐ろしいものだ。SNSで連投していると400字なんかすぐに超える。ブログの1記事ですら1000文字を超えることが多い。それと比べれば感想文の原稿用紙一枚分なんてどれだけ簡単な事か。
映画を観た、漫画を読んだらレビューをSNSやブログに投稿している人は多い。Twitterで連投してレビューを投稿したり、ブログで何千文字のレビューを書く人もいる。そう考えたら原稿用紙の一枚や二枚なんて問題にすらならない。

子どもの頃はなぜ感想文が嫌いだったのだろうか。
おそらく文章を書くことに慣れていなかったのと、強制されているという2点が大きな要因だろう。
自発的に書こうとしても、慣れていないから途中で行き詰まるか、訳の分からない内容になってしまう。
だからこそ、感想文が嫌なのだ。

だけどネットが発達した今では怖くはない。
この記事ですら1800字を超えているのだ。文を書くことに慣れていると、いざという時にもすぐさま対応できてしまう。
文章を書くことでえられることは大きい。

SNSやブログをやることは自分に大きな利益をもたらすかもしれない。