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『面白い』と『楽しい』と『好き』はイコールではないのかもしれない

With all my heart.

こんにちは@Sanyontamaです。

2015年に極道大戦争と言う映画が公開された。気の迷いで鑑賞してみたのだけど、これがとんでもない作品だった。どう論評すればいいのか未だに解明できていない。一言でいえば「酷い」作品だ。
脚本なんてものは存在していない。その場のノリで撮影しているように見えてくる、行き当たりばったりといった作風なんだけれども、どういうわけか凄く楽しかったのだ。
設定から物語まで、作品を構成する全てがぶっ壊れているのだけど鑑賞中は爆笑できたし、去年観た映画の中では最も楽しませてもらった作品かも知れない。
でも鑑賞後は「凄い酷い作品だった」という感想しか浮かんでこない。そもそも映画の文法を完全に無視している。映画作品としては完全に破たんしているんだけど、その時の僕はどうしようもなく楽しんでいたのだ。

なんでこれほど壊れた作品を楽しんでしまったのだろうか。
就寝前、布団の中で考えてしまう自分がいた。そして、ある考察に行きつく。

僕が思い抱いてきた「面白い」という感情には「楽しい」の意味も含まれていたんじゃないのか、と。
これまでの僕はこの両者を一つの言葉にまとめていたのかもしれない可能性に行き当たった。

例えば刃牙道がある。僕はこの漫画作品が大好きなのだけれど、何が面白いのかと問われると答えに窮する。
刃牙シリーズを追いかけてきた人しか楽しめない、一見さんお断りの漫画だ。色々と破たんしまくっている作品で、ストーリー性も皆無だ。これも行き当たりばったりの作品なのだけれど、面白いと感じていた。
だけど、冷静に考えた場合ストーリー性もなく設定も狂っている作品が面白いとは言えない。

だけど毎週毎週楽しみにしている。本部以蔵がの活躍や作者の板垣恵介の仕掛けを、僕は本当に毎週楽しみにしている。
面白い作品ではないけれど、凄く楽しんで読んでいるのだ。だから作品の面白さと楽しさはやはり別概念なのだと実感させられてしまう。刃牙道に抱いた感情は「楽しい」であることにようやく気付いたんだ。今までは「面白い」に「楽しい」の意味を込めていたから、本質を見抜けなかったんだと思う。

さて、僕はゴジラ2000ミレニアムが好きだ。
どういうわけか、僕はこの作品がどうしようもなく愛おしい。好きで好きでたまらないほどであり、僕の好きなゴジラ映画ナンバーワンだと胸を張って言える。
だけど、何が面白いのかさっぱり分からない。作品としては退屈だし、引っかかる点も多い。それなのに好きなのだからおかしいと思う。

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僕がこの作品を好きな理由は幼少期に起因している。休止されていたゴジラシリーズの再開。子どもの僕はゴジラが見れるというだけで歓喜していたし、その感情が未だに残っているのだと思う。だからこそ、ミレゴジが大切な作品として心に残っているんだろう。今見ると退屈で仕方がない作品なんだけれど、どうしようもなく好きなんだ。

そうして僕は気づいた。「好き」と「面白い」はイコールにならないということに。「楽しい」ともイコールにはならないんだろう。
世間の評価が悪く、大人になった僕自身ですら駄目な作品だと思っているミレゴジだけど、やっぱり幼少期の思い出がこびりついている作品を嫌いにはなれない。だからこそ、僕はこの作品をこれまでも、この先もずっと好きなんだと思う。

それは本当に面白いのだろうか

大抵の人は「楽しい」や「好き」という感情を「面白い」で表してしまっているんじゃないのかと思う。
それは本当に面白かったのかと尋ねてみたくなる。ひも解いていくと、僕は楽しんでいただけだという事実に突き当たるかも知れない。

「面白い」と「楽しい」、そして「好き」は決してイコールではない。それら全てがイコールになる場合もあるけれど、そんなことは稀有に思える。それは奇跡にも似た現象だとすら思えるし、ほとんどの場合はどれか一つが欠けてしまうものだ。

もしかすると、僕はこの三要素が組み合わさった奇跡を体験したことがないのかもしれない。これからの人生で奇跡に出会うことは存在するのだろうか。
だからこそ、僕はこれからも映画や漫画を見続けるのだろう。どこかに存在するかもしれない奇跡と出会うために、ゆっくりと確実に作品と触れ合ってゆくのだ。