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せまひろかん

どこまでも

せまひろかん

ネタとガチと小説的な物が存在している

ファンが鬱陶しいからアンチになる人もいるんですよ

コラム

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アンチという言葉がある。アンチエイジングやアンチウイルス・・・。反対や大綱などを意味する言葉である。@Sanyontamaです。

毎週日曜日の夕方5時になるとガンダムを見る。実況をしながらの鑑賞するのが僕のスタイルだが、作品に集中できなくなるのでTLはほとんど見ていないのが実情である。
MSバトルがなくても面白いと思いつつTwitterに目を戻すと「MS戦はよしろや」という声が見られる。分かる。ガンダなのだからだいご味であるMS戦を見たいのは当たり前の意見である。

そんな感想の中に紛れ込んでくるのだ。ファーストと比較する人が。
ファーストが一番だとする書き込みがある。ずっと昔から生息している人だから特に気にしないのだけど、ネット社会ではかなり声が大きいのも事実だ。
そもそもファースト原理主義者というのは古来から存在していたし、ネット社会になってからはその声が広く拡散されるようになり、今まで以上に人目に付く状況になっているのだ。
ファーストが好きなのはわかるが、他のガンダム作品を貶すような発言も多く見受けられるせいで、僕は断固としてファーストを見ない決意を固めるに至ったのである。

原理主義者と言うのはガンダムだけではない。長期シリーズになると、原理主義的な思想が生まれやすくなる。
ゴジラシリーズでも同じだ。トライスター版ゴジラがゴジラに見えないイグアナだったことは悲しき過去である。レジェンダリー版ゴジラはしっかりとしたゴジラであった。僕の意見ではあるが、映画として見た場合はトライスター版のほうが上だと思える。

だがネット上ではレジェンダリー版を持ち上げてトライスター版を叩く人が多い。叩くどころか憎悪の対象に捉えている人も見られて僕の心理は落ち着かなくなる。
分かる。確かにゴジラじゃなかった。だけど、娯楽的な面で見た場合はどちらが良いのだろうかと疑問になるのだ。個人の感想ではあるが、僕としてはレジェンダリー版よりトライスター版のほうが楽しめる。楽しめると面白いは決してイコールではない。
だが、やはりトライスター版のほうが退屈しなかったのが事実だ。

そもそも、トライスター版ゴジラがなければゴジラ2000ミレニアムは製作されなかっただろう。トライスター版がなければゴジラの歴史は大きく変化していたはずだ。悲しき過去であってもゴジラと名がついているのであれば受け入れるしかない。ゴジラの歴史に何らかの作用をもたらしたのだから、これもゴジラの形として受容するしかないのである。過去は消せないのだから「イグアナは除く」などという暴挙は許されないと僕は考えている。

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しかし、レジェンダリー版を持ち上げてトライスター版を叩く声は未だに多く、僕は反骨精神のようなものが芽生えてしまい「トライスター版のほうが良かっただろ」と発作的につぶやいてしまうことがある。

さて、ガルパンおじさんたちが湧きたっている。とある映画監督が「ガルパンを見たがキャラの見分けがつかない」とつぶやいたことが発端である。
そのつぶやきに対し「興味がないアピールはいいから」などのよく理解できない反応が見られた。そもそも興味がないと観に行かないわけなのだが、それを理解していない人がいるらしい。

映画秘宝のベストにガルパンが入っていない事で怒り心頭のおじさんも見られ、そもそも万人に受け入れられる普遍的な作品ではないだろうと言いたくもなる。
どんなところにも表れてとことんかみつく。素晴らしい咬筋力を見せつけてくるあたり、ファンの中にジャックハンマーが混ざりこんでいるのかと錯覚してしまう。
ガルパンはいいぞと言うが、それが万人に通用すると思っている節が見え隠れするせいで僕は居心地の悪さを覚えるのだ。
作品が悪いわけではない。どれも素晴らしい作品なのだが、それをむやみやたらに持ち上げて、他を貶す言動を行うファンが嫌いなだけなのだ。

所変わってラブライブというアニメがある。熱狂的なファンをラブライバーと呼称するらしい。ラブライバーの一部にはかなり過激な発言を行う者もいる。過激派は声が大きいから目に付く確率が高くなる。拡声器を持って発言しているようなものなのだ。
過激派ラブライバーたちがラブライブを持ち上げるために他のアイドルアニメを貶す姿勢を見ていると、同じアイドルアニメなのだから歩調を合わすことは出来ないのかと思う。最近でこそアイドルアニメは量産されてきているが、まだまだニッチなジャンルに思えるからこそ、手を取り合うとまでは行かなくても、歩調を合わせジャンルを発展させるために切磋琢磨できないものなのかと思えるのだ。

だから人々はアンチになる

どれもこれも作品が悪いわけではない。作品がダメだからアンチになるわけではない。そもそも見ていない作品のアンチになってしまうこともあるのだ。
ファンの言動が痛いというより、怖いからアンチになってしまう。
自分の好むジャンルが貶されると関わりたくないという感情を通り越して、怒りで頭が沸騰しそうになるのだ。怒り任せにツイッターや他のウェブサービス上で喧嘩になると収拾がつかなくなるので、腹が立った時はコーヒーでものんで気分を落ち着かせることにしている。

僕たちはただ純粋に作品を見たいだけなのに、過激な人と同一視されることを恐れて作品から離れてしまう。過激派を叩くつもりが、いつの間にか作品のアンチになっていることもある。好きが憎悪に変化することもあるのだ。

ファンは作品を褒めようと持ち上げようとしているのだろうが、その行動は一歩間違えると作品を貶すことに繋がってしまうのだ。この事実に気付けている人は少ないように思える。
キャラの見分けが付かないだけでなぜあれほど叩けるのだろうか。作品を貶したわけでもない、ただの感想相手に激しく噛みつける咬筋力はうらやましく思えるほどである。

騒動の外にいる人間からしてみるとファンが恐ろしい存在に見えてしまうのだ。このジャンルには触れないでおこうと決意するには十分過ぎる。下手に発言したら自分も噛みつかれて、アキレス腱を噛み千切られた渋川先生のごとき悲惨な運命を迎えるのだと思うと、やはり触れたくなくなるのだ。

作品を貶めるのはファンの無自覚さであり、その無自覚な過激さは時にアンチを生んでしまう。
ファンが鬱陶しい。僕の好きなジャンルにまで文句を言う。だからアンチになってしまう。

ゴジラを作らずエヴァを作れという発言も、ゴジラファンにエヴァアンチを生む理由になっているだろう。
気持ちは理解できる。だが今はゴジラで手一杯なのだから、もう少し待ってくれと言うしかないのだ。それでもエヴァと言われると、アンチになってしまう人がいてもおかしくはない。

単純な感想や意見にまで激しく噛みついていく、餓えた猛獣のような行動を見ていると、作品を知らない人間はネガティブな印象を持ってしまう。
ネット社会では誰でも自由に発言できるが、それがアンチを生んでしまう可能性がある。やがてアンチがジャンルを根絶やしにするかの如く、逆に噛みついてくる可能性すら存在しているのだ。

つまりネット社会というのは地獄そのものなのである。
深淵を覗く時、深淵もまたこちらをのぞいているという言葉があるが、ネット社会では言葉通りのやりとりが頻繁に行われているのだ。そのことを肝に銘じなければ、この地獄と言う深淵を生き残れないのかもしれない。

やはり、現世こそが最大の地獄なのだ。