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僕たちは長文が読めない

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ラノベのお話ではありません。@Sanyontamaです。

長文が読めない。
こんな人は多いと思う。スマホやPCの画面越しだと長文が読めない。というか読みたくないと感じる人が多いのではなかろうか。

僕たちは長文を読めない


小説なら読める。こんな人は多いはずだ。
小説は長文だ。
小説と言う体裁であれば基本的に「長文」となる。何千、何万と言う量の文字数で構成されている。読み手も最初から長文だと理解している。だから読めるのだ。心構えが出来ているからね。

でもWebコンテンツになると話は変わる。
Webを彷徨っていると突然長文に出会う。こんな時、どう思うだろう。「うっへー長文じゃねーか」とげんなりする人も多いんじゃないのかと。
そのげんなり感の理由はWebコンテンツは短文が基本になっている。Twitterは140文字制限だし、メールもビジネスとかの目的以外では短い文で終わらせる。LINEになると100文字打ちこむ人は少ないんじゃないのかな。

Webは短文で溢れている。自らが短文を生み出しているし、相手も短文で返す。自然と長文が読めなくなっているんじゃないのかと思う。

僕たちは昔からWebで長文を読めないんだ


Webにおける文章は昔から短文が基本だったように思う。
掲示板も短文が主流だった。某巨大掲示板なんかは人気の板になると勢いも速い。濁流のように書き込みが消費されていくから、長文を書くと読まれなくなる。読んでいるとスレッドが終わってしまうこともあるし、書いているとスレッドが終わりを迎えて投稿できない事もあり得る。だから自然と長文には向かない仕様になっている気がする。
勢いが小川のように緩やかなスレッドなら長文もかける。でも投稿すると「なげーよカス」と言われてしまう。
掲示板という物は一部を除いて長文が似合わないのだろう。利用者同士のニーズが合わないのが理由かと思える。

メールだって同じだ。
長々と文章を打ちこんで送信すると受信者は「うわ、なっげー・・・」と辟易する。
昔のパカパカ携帯はスクロールに時間がかかったし、小さな画面では文字が密集しあって読みにくいせいもある。
そもそも、メールなんか商用利用以外ではあっけらかんとした内容のやりとりにしか使わない。
今日暇? と送信して、ごめーん今日は用事があるんだー。と返す。大多数の人はそんな風に簡単なやりとりでメールを使っているだろう。

メールが長文に向かないというのはパケット定額制が定着していなかった時代の存在も関係していると思う。
かつては従量課金制が普通だった。通信料で料金が変動するから文を削りに削っていた。句読点なんかも削除し短い文章にすることを心がけた。
パケット定額制が定着してからは通信料を気にすることが無くなった。それでも、メールで長文が定着することはなかった。パカパカ携帯だと打ち込みに時間がかかることも関係していたかもしれないね。
LINEは画面構成上長文には向かない仕様になっている。あの構成で長文が打ちこまれたら、自分はトークから逃げ出すと思う。というか確実に逃げ出して放置する。
Webコンテンツというのは一部の特殊な状況を除くと短文でのやり取りが基本なのだ。

Twitterは140文字しか書けない。だから、書き手は自分の意思をそれ以内に納めようとするし、読み手も140文字以内だと認識してしまう。
つまり、短文が当たり前になっているから、書き手も読み手もそれに慣れてしまっているのだろう。脳みそが140文字に慣れてしまったのだと思う。
昔からメールや掲示板でのやり取りも短文が基本だったのに、Twitterの140文字制限が「脳みそ140文字化」に拍車をかけたのでは。というか日本人は昔から俳句や短歌で短い文章で思いを伝えることに慣れていたのも無視できない要因かなと。

小説なら暇つぶしであっても「読む」と意識しているから読めるのだ。
でもWebは違う。長文を読む心構えなんかしていない。SNSなんか短文が基本だ。LINEだって同じ。誰も「長文を読むぞー!」と心構えなんかしていないから、突然長文に出くわすと心を折られるのだろう。
長文にいつどこでも出くわしてもいい様に、このブログみたいな1000文字越え当たり前の記事に出くわしてもいいようにと気構えてWebに触れる人はいないはず。そんなストレスを抱えてまでWebに接したくないしね。

穏やかな心理状態だからこそ、長文に出会ったときはげんなりするんじゃなかろうか。
掲示板を適当に眺めていたら長文が出てきて「こんなネタスレにこいつは何マジになってんだ」と嘲笑してしまうかもしれない。どんなネタ投稿でも長文になると「こいつマジになりすぎだろ」とあきれ返ってしまう。そんな作用が長文には存在しているように思える。
長文というのは書き手が「真剣」に記したものだと読み手が思ってしまう。だからこそ、読むときは心構えが必要なのだろう。
国語のテストで「作者の気持ちを考えろ」というのがあったけど、ああいう教育も長文への忌避感増大に一役買っているんじゃないかと思うよ。長文て相手がどう思ったのかを読み解く必要があるって、心のどこかで考えているんじゃないのかな。だからこそ、ますます読めなくなっちゃうわけなのでは。

SNSがなければ世界は変わっていたのに


国語の試験も原因の一端として考えられる。だけど、今現在の僕たちがWebで長文を読めなくさせた最大の原因はTwitterとLINEに代表されるSNSサービスなのでは。
メールや掲示板もあるけどそれは一昔前の話で、今の人からしてみると長文が読めない原因を作ったのはTwitterとLINEだと思う。
Twitterが140文字ではなく1000字ほどの投稿ができていれば、長文への許容力も違っていただろう。このブログのように長文をみても辟易しない脳みそにはなっていたはずだ。
でも1000文字打てたらTwitterはここまで普及しなかっただろう。フォロワーが多いとTLは高速で流れるから1000文字とか書かれても絶対に読めない。そんなの読める人は速読の訓練受けた人だけなのでは。

そういうわけで、僕たちは日々Twitterに脳みそを犯されている。そしてLINEまで普及しているのだから、脳みそは短文しか受けつけない構造になっちゃっているのだろう。
よほど興味のある分野でないかぎり、長文を最初から最後まで読む人は少ないんじゃないのかと思う。
Webニュースサイトなんかでもタイトルと冒頭読んだらはいおしまい! ってな人が圧倒的じゃなかろうか。
太字や色文字で強調されている部分だけ読めばいい、と思っているそこのあなた。全部読んでね。

短文に慣れすぎているからまとめブログのタイトルだけで騙される。あーでもなこーでもないって議論する羽目になる。勘違いやミスリードだとあとから判明するとお顔が真っ赤になっちゃう。
SNSでもミスリードを誘う投稿は多いから、やはり物事の本質を見極めるためには自分で本文を最初から最後まで読む必要がある。
でもほとんどの人は長文が読めない脳みそになっている。そうならないために日頃が長文に慣れ親しんでおく必要があるんじゃないかな。

小説は読める。小説は長文と理解しているから読める。
でもWebコンテンツになると読めない人は多い。だからたまにはTwitterから離れてこのブログみたいな長文ばかり書いてるコンテンツに触れてみよう。世界が変化する可能性もあるぞ!

僕たちが長文を読めないのは、自らその道を選んだというのもある。だから、たまにはブログやニュースサイトで長文を目にすることを心がけてみたほうがいいんじゃないかな。たぶん自分のためにもなるはずだよ。


 

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