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せまひろかん

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【総括】アニメ『ワンパンマン』が見せつけた王道ヒーローの姿

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こんにちは。@Sanyontamaです。

今期アニメの中ではトップクラスに面白かった「ワンパンマン」が終わってしまった。どうにかして二期を実現してほしいアニメの筆頭でもある。

ワンパンマンは09年にONE氏がウェブサイトで発表した漫画が元になっている。アニメ版はアイシールド21の作画で有名な村田雄介氏がリメイクした漫画版が元になっているようだ。
Web漫画を有名漫画家がリメイクし、それがまたWeb漫画として掲載されるというすこしややこしくも面白い経緯を持っている。ちなみに漫画は読んでいないので、アニメ版について記している。

以下ネタバレがあるので注意してください。

TVアニメに関しては放送されているものは手当たり次第録画して、鑑賞せぬまま消去することもしばしばあったのだが、ワンパンマンというのは名前だけは知っていたため鑑賞してみた。これが中々に面白いのだ。
プロットはとてつもなく単純明快で、圧倒的な力を持つ「サイタマ」が怪人を一撃で倒していく。ただそれだけの物語なのに、どういうわけか面白い仕上がりになっている。

主人公サイタマはどんな敵でも一撃で倒してしまう。この世界で最強の部類に分けられているS級ヒーローですら苦戦する怪人、隕石すらも一撃で屠って屠ってしまうのだ。その強さは頼りがいを通り越し、見ているだけで笑えてくるほどである。
この作品はギャグマンガのカテゴリーに分けられているようだが、ギャグたらしめている所以がサイタマの強さなのだ。

強さの描写を突き詰めた場合、作品はどのような形態に至るのかを描いた作品だ。
一撃で敵を倒す。これがこの作品の肝だ。第一話でサイタマが「またワンパンで倒しちまった」と発言することで、視聴者に彼の強大さが簡潔に説明される作りとなっている。
第二話ではサイボーグのジェノスが苦戦する。ジェノスは街が吹っ飛ぶほどの火力で怪人と対決するも息の根を止められず体のパーツが吹き飛ぶほどの重傷を負い、遂には自爆して敵諸共吹き飛ばすことを決意する。しかし、自爆の寸前でサイタマの平手打ちが怪人に命中し、一発で葬られてしまうのだ。
この緊迫感とあっけなさの同居が、ワンパンマンをギャグに至らしめている理由だろう。

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強さを突き詰めると緊迫感が欠如してしまう。だからこそ、他の漫画はあからさますぎる最強の描写を避けてしまう。敵を一撃で屠る最強の主人公を描いても物語が進むにつれて、主人公を超える強敵が出現する流れを形成してしまうことが多い。バトル漫画のセオリーだから仕方がない。だが、ワンパンマンにはそのセオリーが存在しない。本当に、どんな敵でも本当に一発で葬ってしまう。
だからこそ、そのあっけなさが視聴者の心に「まじっすか?」という衝撃の感情を発生させる。その衝撃は物語を重ねていくにつれて「笑い」へと変換させられていく。
どんな敵をも一撃で倒すという事を認知させることで、サイタマの強さは様式美的な笑いへと昇格されているのだ。
吉本新喜劇を思わせる形式的な笑いをワンパンマンは有しているわけだ。
「またワンパンか」と分かってはいるのだが、自然と口元がほころんでくるような笑い。それがワンパンマンが放つギャグの形だ。

その圧倒さは笑いを生むのと同時にサイタマという存在に絶対的な信頼感を植え付けることに繋がっている。
深海王編ではS級ヒーローの多くが倒され、市民が恐怖のどん底に叩き落され、ジェノスも戦闘不能に陥る。そんな状況下なのにC級ヒーローの無免ライダーが「ヒーローだからこそ深海王に立ち向かわねばならない」と怯むことなく深海王に立ち向かう。しかし、力が及ばない。
S級ヒーローですら叶わない当てなのに、作中では最下級ランクのC級ヒーローが立ち向かう事は無謀な行動だ。だがヒーローだからこそ逃げてはならないという、王道ヒーローイズムに視聴者は心を奪われてしまう。無免ライダー頑張ってくれ、とエールを送りたくなるのだが、同時に敵うわけがないという諦観も襲ってくる。それが兄弟な力を見せつける深海王への恐怖を形成することにも繋がっている。

この正義と悪の演出が王道的でありながらも、抜群のタイミングで落とし込まれることで視聴者は自然と「サイタマ」を欲してしまう。正義が悪に屈してしまう重大なる危機。あってはならない危機。それが発生しようとしているのだ。だからこそ、サイタマの早急なる到着を願ってしまう。ドラゴンボールでクリリンが「悟空早くきてくれー!」と叫ぶ場面があったが。視聴者はそれと同じ感情を抱いてしまうのだ。
サイタマの強さが圧倒的だから、どんな敵でも倒せるからこそ、彼ならきっとなんとかしてくれうという信頼感を作り上げている。だからこそ、サイタマはまだかと焦燥してしまう。そして、サイタマの姿を見た瞬間に安堵してしまうのだ。
もう大丈夫だ、彼が来たから安心だ、と脱力するほどの安心感を得てしまう。

ダークマター編では街を一瞬で吹き飛ばした軍事力を持つ宇宙人の首領「ボロス」に一人で立ち向かう。ボロスの圧倒的な力は、作画と言う面で演出されている。街を一瞬で吹き飛ばした宇宙船を半壊させるほどの力を出し、サイタマを月にまで吹き飛ばす強大さ。それが視聴者を絶望へと陥れる。もしかするとサイタマは敗北するのでは、と不安感を抱くと同時に、彼ならワンパンでやってくれるという期待感を高めているのだ。
ウルトラマンの劇中で怪獣と戦うウルトラマンへエールを送る市民のように、視聴者は自然にサイタマへ期待し、応援しているのだ。

彼ならきっと、きっとやってくれる。その安心感こそが、彼をヒーローたらしめているのだ。そして、ボロスとの戦いを目撃したのが作中では存在しないのだ。世界を救ったのは彼なのだが、作中の人物はその事実を知らない。知るのはジェノスと視聴者のみだ。だがジェノス自身はサイタマの戦いを目撃したわけではない。彼の戦いを目撃したのは視聴者だけなのだ。だからこそ、視聴者はサイタマに助けられた市民のような目線で彼を見てしまう。彼こそが地球を救った本物のヒーローだという事情を唯一知る存在が我々しかいないからだ。

作中でのサイタマはヒーローとして認知されていない。圧倒的な力はインチキと称されるほどであり、ほとんどの人間が彼の力に懐疑的なのだ。だが視聴者からしてみると彼こそが本物の「最強のヒーロー」になるという巧妙な作劇がなされている。
絶望と恐怖をこの上なく描き出す演出、緊迫感とあっけなさが同居している構成。それがこの作品をギャグに至らしめると同時に、王道のヒーロー物として完成させているのだ。彼のヒーローっぷりを知るのが作中ではジェノスだけ。視聴者は思わずジェノスと同じ目線でサイタマを見てしまうのだ。なぜ、彼の実力を理解しないのか?とインチキと罵る人間への怒りすら覚えてしまう。作中での活躍を知るのがジェノスと視聴者だけというのが、彼の孤高なヒーロー性を極限まで高めているのだ。

圧倒的な強さの描写は笑えてしまうというのを真剣に描いた作品でもあり、同時に王道のヒーローアニメでもあるという高度な作劇をこなした傑作。
この作品が終わってしまうのはもったいない。彼の活躍が見れなくなるのは本当に残念だが。だが漫画版もあるので、そちらを読んでみることにしようと思っている。なにより、こんなハイクオリティを見せつけてきたアニメ版をもっと見ていたい。
彼のワンパンっぷりを再び動く姿で鑑賞できることを願っている。

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