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『怪獣大奮戦 ダイゴロウ対ゴリアス』の根底に存在するブラックな本質

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こんにちは@Sanyontamaです。

定期的に通っている京都みなみ会館でダイゴロウ対ゴリアスを鑑賞した。今回が初鑑賞だ。
数年前にニュープリントが行われたようで、画質は鮮明でクリアだ。同時上映の小さき勇者たちガメラよりも画質は良いほど。これがニュープリントの威力なのかと打ちのめされた。やはり映画は映画館で、そして35mmフィルムで見るのが素晴らしい。

そんな美麗な状態で鑑賞したダイゴロウ対ゴリアスだが、これが珍妙な作品だった。コミカルと言えばコミカルだ。というか、脚本はかなり狂っている。だけど、物語の骨幹を成す設定はどういう訳かかなりのブラックさを醸し出していた。
円谷プロ10周年記念作品と銘打たれた本作だが、その記念に恥じぬ社会風刺に富んだ内容だった。

数十年前の作品だがネタバレを含むので注意してほしい。

喜劇のブラック


この作品は東宝チャンピオン祭りの一作品として上映された。そのため作劇自体は非常にコミカルだ。ドタバタという表現がぴったりな、そんな笑える怪獣映画に仕上がっている。

主演怪獣のダイゴロウはカバのような顔をしているし、腹が中年太りのように飛び出ている。日本政府が彼を飼育しているのだが、その飼育位に至る過程が面白い。
東京に出現したダイゴロウの母親。彼女は深海での原子力潜水艦事故により目覚めたという設定になっている。そんな彼女は人間に抹殺され、赤ん坊だったダイゴロウだけが地上に残されてしまったという流れだ。

初代ゴジラに通じる、人間のエゴイズムが盛り込まれた設定と言えるだろう。我が物顔で地球を支配し、自然環境を破壊する人間に対す警鐘の意味合いが存在している。
出演者のセリフも印象的だ。
ゴリアスを倒すために核兵器を使えばいいと子どもたちが声を上げるが、大人は海が汚れてしまい大変なことになると制止する。しかし、別の大人は「公害でゆっくりと海を汚すのは良くて、一気に汚すのは駄目という理屈はおかしい」と叫ぶのだ。極悪怪獣を如何にして倒すのかという議論の中で、公害による海の汚染をさらりと混ぜ込み、公害は良くて核は駄目と言う、これまた人間のエゴイズムに対する問いかけが行われている。
この議論シーンもシリアスな雰囲気は一切なく、まるで喜劇を見ているかのようなコミカルさだ。そこで交わされるセリフは重苦しいないようなのだからブラックと言わざるを得ない。
怪獣に対して核兵器を使用するか否かという、怪獣映画のタブーにも挑戦した屈指の名セリフと言えるだろう。

ダイゴロウも悲哀に満ちた生い立ちだが、彼の現在もまた悲哀しかない。
彼の飼育費は政府が支出している。つまりは国家予算だ。彼は大食いであり、飼育費を予算では賄いきれなくなる。予算削減が行われ、成長抑制のために薬を投与されるという、悲劇的な運命をたどっている。
それなのに、宇宙からやってきた怪獣ゴリアスとの戦闘を余儀なくされる。役人は「ゴリアスにかてば予算を増やす」と叫び、彼を鼓舞する始末だ。

人間の行動で親子を安住の地から追い出しておきながら、予算と言うまたしても人間の身勝手な理由で飼育費を削減され、ついには成長抑制剤まで投与されてしまう。
人間のエゴイズムを徹底的につついているのだ。我が物顔で地球の支配者として君臨している人間は自然を支配できると思い込んでいる。その傲慢な思考への警鐘が盛り込まれている。
鑑賞しているとダイゴロウに申し訳なさを感じる。どうにかして彼を安心させることはできないのかと、感情移入してしまう。

今まで怪獣のデザインが好みではなかったので避けていたが、これほど生々しい設定を盛り込んだ傑作だとは思わなかった。
全体的にコミカルだ。怪獣喜劇と呼ぶべき作劇になっているが、生半可な娯楽作品としては終わらせていない。
日本の怪獣映画といえば初代ゴジラから続くように、当時の世相を反映した設定が盛り込まれている。緩やかに子ども向けへとシフトした怪獣映画というジャンルだが、根底には警鐘が含まれているのだ。
この作品でもそれは変わらない。コミカルさにブラックさを盛り込んだ怪獣映画の王道を行く傑作だ。

円谷プロ創立10周年という記に恥じない、生々しい怪獣映画が完成している。