読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

せまひろかん

どこまでも

せまひろかん

ネタとガチと小説的な物が存在している
TOP

奴隷からの解放と共生の行方/『劇場版 蒼き鋼のアルペジオ -アルス・ノヴァ- Cadenza』 

f:id:Sanyontama:20151004212510j:plain

 
 TVシリーズは全話鑑賞し、今年一月に公開された「DC」も鑑賞している。この壮大な物語をどのように決着させるのかと不安視しつつ劇場を訪れた。
 少し無理な印象を受けつつも物語は着地したため感慨深い作品に仕上がっていた。

 アニメーションは凄まじい物量であり、日本CGアニメの到達点を見せつけられるほどだ。殴りこんでくるような映像は必見。日本のCGアニメでもここまで出来るのかと舌を巻いた。

 しかし、初めにこれだけは言っておきたい。作品としてのクオリティは優れたものではない。物語構成が少し悪いせいで間延びしており、説明セリフも多い。だから無理に詰め込んだ感じは否めない。
 しかし、この作品は単なる深夜アニメやその映画版という枠を飛び越えた確固たるテーマを内包している。そこが「蒼き鋼のアルペジオ-アルス・ノヴァ-」という作品を完成させる所以になっている。

 ネタバレ込みで記していく。
 なお原作は未読だ。

 突如として霧と共に第二次大戦の軍艦を模した謎の艦隊が世界中に出現し、人類は「霧の艦隊」との戦争へ突き進み、霧によって世界は断絶させられる。千早群像は霧のメンタルモデル「イ401(イオナ)」と共にこの戦いを終結させるべく戦いに身を投じてゆく。

「Cadenza」は霧VS人類の最終決戦を描いた作品だ。その壮大な物語は遂に幕を閉じる。

 千早群像率いる「蒼き鋼」はTVシリーズで霧に対する唯一の有効兵器「振動弾頭」をアメリカに届け、DCではアメリカに神郷弾頭を一発しようさせて人類が霧と同等の力を得たと示した後は、神郷弾頭をロックし使用不可に陥らせる。群像は争いではなく対話で霧との和平を模索しており、最悪の場合は振動弾頭を解除するカギを握る。どう転んでも人類の命運を左右するという大いなる責任を背負っている。
 
 千早群像と霧の思想は相反する存在として描かれている。
 千早群像は霧がどれ程人類を痛めつけて恐怖に陥れたのか理解しているが、それでも対話により和平の道筋を見出そうとしている。
 対して総旗艦ヤマトの代理としてムサシは人類へ降伏勧告を行い、霧の支配下へ置くことを目的としている。

 千早群像は数々のメンタルモデルと理解し和解した経験から、武力だけがこの戦争を終わらせる手段ではないと知っている。だからこそ、対話を模索しているのだ。
 霧の艦隊はアドミラリティ・コードの指令で行動する。それ故に霧のメンタルモデルたちは意思を持たない。人間の形をしているのに、人間を人間たらしめる物が欠如しているのだ。だからこそ、霧は躊躇なく人類へ攻撃することが出来る。人類を支配下に置くと宣言できるのだ。

  だが、メンタルモデル達は蒼き鋼との出会いで変貌してゆく。コンゴウは感情が命令の障害になってゆく事実に混乱する。依存していたマヤがただの監視ユニットだと判明してしまい、暴走に堕ちてゆく。兵器のままであれば感情と命令の矛盾に苦しむことはなかったと吐き出し、艦艇の姿こそが霧を霧たらしめるはずなのに、その姿を捨て去るほどの狂気に囚われる。意思とは、個とは、人間とは何かを理解するイオナとの戦いと問答により、自身の内に湧き出る全てを受け止めて、人類を打ち負かすため の「兵器」から「個の存在」へと踏み出すことが出来た。

 Cadenzaでは霧の超戦艦「ムサシ」と千早群像の父「千早翔像」の思いが主軸となる。
 千早翔像は霧の艦隊に参加しているが、それはムサシが 作り上げた偽りの存在だった。本来の千早翔像は超戦艦ヤマトと和平交渉を行っていた。だが、それを快く思わない人間により命を奪われる。その経験からムサシは人類とは愚かなる存在であるとの結論を出し、人類へ降伏を促すのだ。
 それでもなおヤマトは対話への希望を見出しており、ムサシとの意見は対立する。最終的にヤマトはムサシに海の底へ沈められてしまう。

f:id:Sanyontama:20151004213415p:plain


 しかしヤマトは撃沈の瞬間に通りかかったイオナに希望を託し、千早群像をムサシの元へ送り届ける命令を与えた。同時にイオナはヤマトとユニオンコアになっており、イオナの中にはヤマトが存在していると判明する。
 イオナはヤマトの願いを託されており、霧と人類を繋ぐ重要な役割を担っているのだ。

 ヤマトは千早翔像に未来を見出したが、それを失ってしまう。代わりに息子の千早群像へ希望を託す。ムサシはその事実を理解していたのか、千早群像率いる蒼き鋼を嫌悪している。ヤマトの思考は相容れないものであるからねじ伏せねばならないと考えている。
 そして寝返ったメンタルモデル達は欠陥品という扱いをしている。これは「自分が霧」であると言い聞かせているように見えてくる。

 ムサシはイオナをはじめとする人類側へ寝返ったメンタルモデルを霧の風紀を乱す存在と位置づけ「霧の生徒会」なる組織を仕向ける。最優先はイオナの撃沈だ。
 そこには霧が霧である故の存在意義が崩壊することへの恐れが混ざっているように見えた。超戦艦であれば巡行潜水艦を模したイオナなど恐れるに足りない存在のはずだ。それなのに霧の生徒会を派兵しイオナの足止めを行うのは、霧を変貌させかねない所業を行ってきたからだ。

 霧はアドミラリティ・コードに従い、人類を支配するために動いていた。それが崩れたのは千早翔像が対話を試み、その意思が息子に引き継がれたからだ。千早群像はメンタルモデルとの和解に成功している。だからこそ霧が霧であるが故の存在意義を破壊する存在としてムサシの目に写っているのだろう。
 自分は霧であるという矜持、それはアドミラリティ・コードという鎖に縛られた奴隷であることを意味している。
 
 そもそも霧の艦隊が人間を模したメンタルモデルを形成したのも、人間を理解するためだ。しかし、千早群像の登場により、メンタルモデルは人間へと限りなく近づいてしまった。
 人間の模造品は人間を超えることが出来ない。ムサシはメンタルモデルを人形と呼称し、人類を打ち負かすための兵器であると言い聞かせるも、イオナやタカオ、ハルナといった裏切者たちに届くことがない。あのコンゴウですら兵器を脱却し「個の存在」として昇華されてしまったのだ。
 
 千早群像とイオナにより霧が変貌しようとしている。かつては考えられなかった現象が発生している。ムサシはヤマトを内包するイオナ沈めることで「自分は霧」であることを再認識したいと考えていたのだろう。同時に人類を支配下に置くことで霧こそが全てに勝る存在であることを知らしめる野望を抱いている。
 すべては霧が崩壊することへの恐怖と焦燥感が原因だ。
 

 タカオやハルナは兵器時代とは異なり「自らの意志」でイオナの援護を行う。千早群像の力になるというタカオの意思、蒔絵を守るというハルナの意思が、ムサシの元へと向かう千早群像を援護し、霧の生徒会と対峙するのだ。
 

f:id:Sanyontama:20151004220438j:plain


 霧は人類を超えるために人間の形を模したメンタルモデルを形成した。しかし人類を超えるという願いは叶わなかった。人類には意思に夢や希望を持っているからこそ、霧には思いつかない発想が生まれるのだ。そして、この世の全てが悪ではないということも理解しているからこそ、諍いを避ける事だって出来る。
 人間と関わったメンタルモデル達は、人間の持つ可能性を理解している。本当の人間ならば、人間の模造品では成し遂げられない壮大な夢と希望を持つことと叶えることが出来ると信じている。
 
 千早群像の行動は霧と人類を希望の未来へと導く可能性を秘めていることを理解している。これも千早群像を援護する理由になっている。
 命令では未来をつかみ取ることが出来ないという事実を理解しているから、自らの思で行動することにした彼女たちは完全なる「個」として、自らの考えで行動できるようになったのだ。

 最終的にはヤマトと一体化したイオナが全艦艇に「自由の道」を宣言する。
 この宣言が受け入れられず暴走するメンタルモデルもいるだろう、と千早群像は考えている。それでも、それはただの暴走でしかないのだ。かつてのように奴隷としての行動ではなくコンゴウのように「個」の考えや混乱により生じた暴走なのだ。
 
 新世界を迎えた人類はメンタルモデルの暴走を受け入れる覚悟を試されるだろう。これから先、メンタルモデルが暴走しても以前のように大戦争が巻き起こることはないはずだ。イオナのように対話を行うメンタルモデルが出現するかもしれない。
 人類との完全なる共生が果たされるのは未来の話だ。共生は開始されたばかりである。

 この「蒼き鋼のアルペジオ-アルス・ノヴァ-」という一連のアニメ作品は千早群像率いる蒼き鋼が、霧の艦隊を全滅させることで「俺たちが世界を守ったぜ!やったー!」な内容にすることだって十分にできた。
 しかし、そんな直球な娯楽作になることをTVシリーズから避けてきたのが「蒼き鋼のアルペジオ」だ。日本アニメのお約束は踏襲しつつも「メンタルモデルという奴隷たち」が自由を勝ち取る姿を描いている。Cadenzaはその姿に決着を見事につけたのだ。
 
 この壮大な戦争を見事に決着させた製作陣の手腕は見事だ。
 出来る事なら共生の行方を描いてほしいとは思う。だが、それは胸にとどめて想像するだけでいいとも思えるのだ。

 ただの萌えアニメとしては終わらせない、重厚なテーマがこの作品には存在している。