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『がっこうぐらし!』が内包する狂気、それは精神破壊へと至る

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新作アニメはとりあえず録画して1話も見ないで消すことも多々ある。「がっこうぐらし!」は放送開始当初、自身のツイートラインでも名が上がることが多かったので視聴してみた。

 

とりあえず放送済みの6話までみたが、これがどういう訳か「不可解」で「不気味さ」を覚えるのだ。

「がっこうぐらし!」は日常系というジャンルで括られているが、街がゾンビで支配されているという非日常が存在している

なぜ、このような不可思議な感覚に陥るのか考察していきたい。

まず断わっておくが「アニメ版」しか鑑賞していない。原作の漫画は未読のためアニメ版についての記述となるので留意してほしい。

 

日常系とは

日常系とは登場キャラクターたちによる他愛のない日常を描くことを主眼とした作品を指すジャンルである。

困難に直面することも、悩みもないし本格的な恋愛も起こらない。ドラマ性という物を極端に排除しているのだ。毒にも薬にもならないほどに、主に美少女キャラの日常を淡々と描くだけなのが日常系だ。中身がないとも揶揄されるが、全身の力を抜いてみることに特化した作品と言えるだろう。

けいおん!やらき☆すた、最近ではきんいろモザイクやご注文はうさぎですか?なども日常系である。

中身がないと揶揄されながらも商業作品として地位を築いているのだから凄いことだ。見方を変えれば詩的ともいえるジャンルかも知れない。

 

がっこうぐらし!を支配する存在

何度も言うがアニメしか見ていないので原作の流れに言及することができない。

原作はよりゾンビもののテイストであるらしいが、アニメは日常系に近い形式をとっているように思える。

この作品は日常の中にゾンビが現れたという話だ。これならゾンビもののフォーマットとしてありふれている。しかし、なぜか「ほのぼの」と学校生活を送っているのである。

登場人物たちは学校で寝泊まりしている。避難生活を「学園生活部」という部活の体で行っているのだ。

 

そんな狂気の世界で美少女たちのほんわか日常が繰り広げられるかといえば、実はそうではない。ゾンビたちを見てみぬふりしているわけでもなく、その世界へ言及を行うし、どこかで現状を打破しなければならないという焦燥感を抱きつつ生活している。時にはゾンビと戦うのだが、その戦いは物語の主軸ではない。

 

主人公グループの一人「丈槍由紀」はゾンビ騒動による精神的外傷で幼児退行のような症状を発生させて、妄想の世界に突入してしまう。死人を認識できず、一人で誰かと会話をしたりするのだ。

 

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彼女の行動に学園生活部のメンバーが振り回される。遠足へ行こうといいだし、ショッピングモールへ物資調達に出かけたりする。

由紀は現状を知ってか知らずか、ゾンビに襲われるなど危機的状況に陥っている人に対して、危険を顧みずに助けだそうとするなど、異様な行動が多くみられる。

ゾンビがいる世界で、時折見せる突飛な行動を除けば、彼女だけがいわゆる普通の日常系に登場するキャラクターを演じさせられているのだ。

 

他のキャラクターたちはゾンビで支配された現状を理解していて、学校で避難生活を送り続けるだけではいけないという焦燥感を抱きつつも、(放送済みの話までは)突破口を見いだせていない。

しかし、由紀はどことなく現状を理解している節を見せることもあるが、基本的には学園生活部ムードメーカーである。

 

ゾンビものだと理解した視聴者が普通の日常系然とした言動をする「丈槍由紀」を見ていると、鬱陶しい存在だと見えるだろう。肝試しをしようだとか、体育祭をしようと言い出すのだから仕方がないだろう。

しかしこれは、アニメが日常系に近い形式で作られているせいで発生する感情だ。ゾンビものと日常系という相容れ両者を混ぜ込んでしまったゆえに生じた齟齬なのだ。

 

ゾンビものという打破せねばならぬ現実と、丈槍由紀という日常系の存在。

アニメでは現段階で状況の打破への動きは見せていない。かといって完全に日常系へも振り切れていないという現状が、あまりにも恐怖で「不気味」を感じるのだ。

 

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日常系というフォーマットにゾンビを混ぜこみ、それゆえにゾンビもののお約束的な展開も行えない。

遠足と称して外に出たと思えば学校に帰ってくる。

結局、彼女たちはここから脱出すると死んでしまうのではと思うほどに学校に依存しているように見えるのだ。

脱出できるのであれば他の生存者を探したり、ゾンビのいない土地まで逃亡することもできたはずなのに、それをせずいるという不可解さ。

日常は学校などの「箱」で繰り広げられる物語が基本的な形になっている。アニメは日常系に近いからこそ、学校という存在が必要不可欠なのだろう。

 

そして、丈槍由紀という存在。

ゾンビ活動への精神的外傷から妄想の世界へ飛び込み、異常なまでに天真爛漫さを見せつけて、他者を振り回す。それが時には閉塞した現状への活路を見出したりする。

犬を追いかけたり、大声を出すなと言われても大声をだしてしまうドジっぷりや、肝試しを持ちかけたりする人物だ。これだけ見ると日常系によくあるキャラの一つでしかない。

そんな普通な日常系キャラだからこそ、ゾンビものと相容れない。だからこそ、この作品を「狂気」たる作風に仕上げているのだ

原作で彼女がどのようなキャラになっているかは不明だが、アニメでは唯一と言っていいほどの普通な日常系キャラだ。

 

だから、この作品があまりにも気持ち悪い。

現状を打破しようともせず、学園生活部として活動を続けるという不可解さだらけなのだ。

原作者はこう語っているが、この精一杯生きていく点が不気味さを増大させている

「精一杯生きていく営み」という言葉のとり方もあるだろうが、それならば世界中がゾンビで支配されたと視聴者に分からせる必要があるのではと考える。

アニメでは世界の現状が見えてこないからこそ、ゾンビもののお約束を果たすべきだと思えるのだ。

「世界中(日本中)がゾンビで支配された」と一言でも説明があれば、このどうしようもない絶望に満ちた世界で彼女たちは生きていくしかないのだと、諦めることができる。

だが、それがないからこそ諦められない。

希望を感じてしまうからだ。どこかにはゾンビが存在しない場所もあるかも知れない。淡い希望を抱くからこそ、精一杯さを不気味に捉えてしまうのだ。

 

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外に出ようと思えば出られるのに、希望を探すため積極的に外へ出ることをしない。ゾンビものの常識を真っ向から破壊している

登場人物の不可解な行動も「日常系」であれば説明できてしまう。

美少女たちが集合する箱庭が必要なのだ。それが主に学校が選択される。この作品でも学校を舞台にゾンビに目を背けながら、時には直視しながら、日常系を行っている。

日常系な話を行いたいからこそ、学校から出られない。出ようとする仕草を見せないのだ。この日常系というのが恐怖を生んでいる

 

流行の進撃の巨人と相反する作品だ。閉塞した現状を打破すべく少年少女が中心となり最前線で戦っていく。

しかし「がっこうぐらし!」は最前線に出ることを拒んでいる。焦燥感に駆られながらも、壁の中で日々を過ごしているのだ。

 

登場人物の不可解な行動も「日常系」であれば説明できてしまう。

美少女たちが集合する箱庭が必要なのだ。それが主に学校が選択される。この作品でも学校を舞台にゾンビに目を背けながら、時には直視しながら、日常系を行っている。

だからこそ、幼児退行したように見える丈槍由紀という存在が生まれたのかもしれない。純粋にゾンビものとして描くことはできただろうが、丈槍由紀というある意味「いつも通りの日常系キャラ」を落とし込むことにより日常系を遂行できているのだ。

彼女が正気であれば、ゾンビサバイバルになっていただろう。でもそれを指せなかったという事実がこの作品の不気味さを完成させてしまったのだ。

 

物語として「行動した挙句、世界は手遅れだった」というオチならすっきりと理解できるのだが、そうでないのがこの作品だ。

 

この作品はホラーではない。

日常系とゾンビものを混ぜ込んでしまったがゆえに誕生してしまった狂気なのだ。第一話で視聴者には普通の日常系と見せかけて、ラストで衝撃を与える構成。

 

『登場人物が現状を打破しないという事実に気付いた瞬間、この作品が内包する狂気の意味を理解してしまい、精神を破壊されたような感覚に陥るのだ』

 

恐怖で支配される人を描くのであればまだいい。しかし普通の日常を行おうとするのだから、まさに狂気以外の何物でもない。相容れない存在を混ぜてしまうと、これほどまでに不気味な作品になると思わなかった。

 

日常系を行うが故に、視聴者が期待する常識が破壊されているのだ。

それについていけないから精神の均衡を保てなくなる。

 

以上がアニメ版しか見ていないが率直な考察である。

この作品への感想を述べるには最終話まで見る必要があるだろう。

 

これほど奇々怪々な作品は例を見ないだろう。

この作品はどう着地するのか。

どこへ向かうのが正解なのか分からない。終わりの見えない恐怖支配が見る者の精神を破壊していく。

怪奇すぎる作品に括目しなければならない。