『ジュラシックワールド』を体感せよ!映画館をテーマパークに変貌させる傑作
こんにちは。
全世界興行収入第3位に食い込み、全米興収歴代2位のタイタニックを抜く可能性が出ているのだ、映画史の記録を塗り替えているジュラシックワールドが日本でも公開されたので早速鑑賞してきた。
どういう訳か、シリーズの集大成がそこにはあった。
ロストワールドと「3」の失速が嘘のように、完璧ともいえる正当な続編が誕生してしまった。参った。いや、この2作すらも無駄にはしていない。
正直に言えば死に絶えたと思っていたシリーズをここまで完全な形に復活させるとは、まるで劇中での恐竜復活を連想させるほどだ。壮絶の一言。
実家のような安心感。帰ってきた。あの時、少年少女だった人々が大人になり、このテーマパークを訪れて再び子どもに戻る。それがジュラシックワールドだ。
究極の夏休み映画が誕生してしまった。
これより先の「レビュー」には「ネタバレ」を含みます。
・私たちは今、ジュラシックワールドにいる
あのテーマパークが遂にオープンしたという形で、本作は始まる。開園からしばらくが経過して、大人気テーマパークとして君臨しているという設定だ。
徹底した管理のもとに、来場者の安全を確保しているが、恐竜の脱走はしばしば発生している。それでも来場者やスタッフともに、ヒヤリ・ハットは置きつつも死傷者は出さずに運営してきた。
ジュラシックワールド管理者「クリア」の甥っ子である「ザック」と「グレイ」の兄弟がジュラシックワールドへと遊びに来る。
観客はザックとグレイと共にジュラシックワールドへと来場する。二人と共にジュラシックワールドを体験していくという導入がなされている。
ジュラシックワールドのゲートを通り入場していく。来場者を歓迎するビジターエリアではホログラムによる恐竜紹介や、あのミスターDNAが登場する。
恐竜がどのように蘇ったのかはこれまでも散々行ってきた。今更説明する必要はない。ミスターDNAの登場は僅かな時間だ。彼の登場により、今作が内包する第一作に対する敬意が強く感じられ感動してしまう。
あのパークが本当にオープンしたのだと感極まってしまう。
二人とともにパークを疑似体験して、観客をその世界にどっぷりと浸らせるという演出は本当ににくい。ここは映画館ではなくて、ジュラシックワールドというテーマパークなんだと錯覚するほどに丁寧な演出が行われる。握り拳を作って立ち上がり「これを待っていたんだ!」と叫びたくなる。それほどまでの没入感だ。
我々は今、ジュラシックワールドにいると確信する。丁寧な冒頭はもはやジュラシックワールドを訪れる二人の少年に密着し、二人の目線から「ジュラシックワールド」というテーマパークに迫ったドキュメンタリーとも言うべき内容だ。
・生物とは何かという問い
今作はハイブリッド種「インドミナスレックス」が主軸となり物語が進んでいく。人工的に生み出された、元来存在しない種だ。
今までは「人間が恐竜を復活させた」だけだ。欠損したDNAを補うためにカエルのDNAを組み込んだということはあったが、それは純粋に恐竜を復活させるという目的だった。
だが、今回のインドミナスレックスは来場者をより楽しませるために生み出された。人間の身勝手で生み出されたのだ。
ジュラシックワールドの社長であるマスラニはこのパークを建造した理由として「人間の無力さを思い知らせる」と語ったが管理者のクレアはじめ、スタッフたちはこの理念を完全に忘れ去っていた。
クレアはインドミナスレックスがどんな恐竜を組み合わせて誕生したのかすら把握していない。管理者としての自覚はあれども、生物に対する敬意が全く存在していないのだ。
インドミナスレックスは檻の壁をよじ登ったと見せかけて、実は檻の中に潜みゲートが開く瞬間を待つなど、高い知能を見せる。
檻からの大脱走から、一連の流れは見事である。人間を檻におびき寄せて、避難のためにゲートを開かせる。そうして閉まるゲートに突進して破壊し、外の世界で身をひそめる人間にかぶりつく。これだけのこいつの凶暴性と知能を自然な流れで観客にまじまじと見せつける。
安全に管理されていたパークが崩壊していくのである。
インドミナスは檻の外で恐竜を、人間を襲っていく。静かに人間たちの前に現れて暴れまわり、圧倒的な力でねじ伏せていく。まさに「人間の無力さ」そのものである。
インドミナスは上手く「擬人化」に成功している。一体何を仕掛けてくるのか、どこに潜んでいるか分からない。人間とも思える知能が観客をホラー的な恐怖に沈めてくれるのだ。
ジュラシックパークのように足音で恐怖を伝えるのではなく、見えない恐怖を与えてくる。1作目のT-レックスとは真逆の演出だ。
その姿を見たら最後。人間はなぎ倒され喰われるだけだ。その姿はあまりにも恐ろしい。
クレアは場内に取り残された甥っ子二人の救助をオーウェンに頼む。二人は共に行動をはじめ、物語はパニック映画の様相を見せ始める。
オーウェンはラプトルの調教ではなく、対等な関係を築くことに成功したパークの中でも稀有な存在だ。
だからこそ、恐竜が生物であることを深く理解しており、互いに敬意を払うことで信頼関係が生まれ獰猛な肉食恐竜でもそれが可能だということを示している。
しかし、クレアは恐竜を「展示物」と言い切ってしまう人間だ。この一言で恐竜という物が生物であることを理解していないし敬意のかけらもないことが十分すぎるほどに伝わってくる。オーウェンが反論するのも無理はない。
この両者の対比は見事だ。ガチガチの仕事人間と、柔和な人間。同じ人間でもこれほどまでに思考の差異があるのだと実感させられる。それが生物が一筋縄ではいかないということを象徴しているのだ。
恐竜も一筋縄ではないかない。それを象徴するのがインドミナスレックスであり、人間も一筋縄ではないかないという象徴がこの二人だ。両者は恐竜と人間の象徴として存在しているのである。
クレアはアパトサウルスの死を目撃し、ようやく彼らが生物だということを理解する。
彼女は来場者や投資家しか見ていなかった。恐竜は展示物と考え、来場者をいかに楽しませるかに終始していて、新種を作るという神にも等しい行為をしでかした傲慢さを今まで忘れていた。管理者としては優秀でも、生命への敬意が欠如していたジュラシックワールドのスタッフたちがこの惨劇を生み出してしまった。
第1作同様に、人間はまた過ちを犯したのだ。
クレアとオーウェンは、観客に生物とは何かをも理解させる役目を負っているのである。第1作から内包する、生物や自然への敬意という教育的側面も今作はしっかりと継承しているのだ。
娯楽作でありながら、生物とは自然とは何かを観客に提示し、恐竜たちの元来あるべき姿を考えさせられる、
インドミナスレックスは人間に生み出され、檻の中で育ち、外界を知らないがゆえに殺戮を行う、見方によっては悲劇の存在ともいえる。どことなく初代ゴジラに通じるものを感じた。
しかし、自分が強大な力を持つがゆえに、それを使用して頂点を目指すさまは暴力そのものの象徴になるために、一切の感情移入が許されない完璧な悪役としてその地位を確固なものにしていた。暴力を使用して好き放題を行うさまは、まさに破壊者である。
ラプトルと手を組むなど利口な面を見せるから、その恐怖が更に引き立つのである。
恐怖を教育を一挙に味わえるなんて贅沢すぎる。
個人的にはクレアとインドミナスレックスは似ていると捉えることができた。
人間と恐竜が似ていると思うかもしれないが、内面がどことなく似ている気がしたのだ。
檻の中しか知らないインドミナスレックス。パークの運営にしか興味がないクレア。両者ともに一つの世界しか見ていないのだ。
インドミナスレックスは外の世界を理解していき、クレアはジュラシックワールドの本質を理解していく。
両者は一つの事しか見えていなかったが、徐々に「ジュラシックワールド」という社会の本質を理解していく様は、似ているといえるかもしれない。
どんどんと人間味を増していくクレアと、どんどんと獣に堕ちていくインドミナスレックス。両者は似ていながらも物語が進むにつれて対比の存在となっていく。
キャラクター1つにしてみても多角的に捉えられるとは、この脚本と設定は本当にやってくれる。
・完璧というしかない完成度
本当に参ったというしかない。
映像の質は天下一品であり、第1作の衝撃と同等かそれ以上に「恐竜が本当にいる!」と感じさせてくれる。人間との対比も見事で、恐竜たちの腕力がひしひしと伝わり、自然に対しての無力さを痛感させてくれるのだ。
恐怖感も継承されている。インドミナスレックスに襲われた兵士のバイタルサインが途絶えていくことで死を伝える場面は、殺傷シーンを直接的に映し出すよりも恐怖感をあおるのだ。
バイタルサインという分かりやすい視覚効果を用いることにより、死を間接的に、しかし心拍の停止という直接的さで観客に伝えてくるのだ。いとも簡単に人間が死んでいく様がはっきりと分かり、無力さを痛感させる名演出になっている。
この怪物をどうすれば止めることができるのか。観客の不安をこれほどかというほどに煽るのだ。
何度も強調したいのが第1作への敬意が本当にすさまじい点だ。リメイクではない。確実に1作目の後を描いているのだ。
第1作で放置されたビジターエリアが登場し、あの横断幕やあの暗視ゴーグルが登場する。横断幕と化石でたいまつを作り、徐々にそのエリアを見せていくという高揚感は見事というしかない。くどくない演出なのに、これほどまで胸が高鳴るとはどういうことなのか。
1作目と同じ島で、遂にハモンドが望んだテーマパークが完成したんだ。
やったよ!遂に完成したんだよ!おじいちゃん見てる!?と言いたくなる奇妙な感覚に襲われる。ファンサービスの域を超えて、もはや実家に帰ってきたような安心感が湧いてくるほどだ。
そして、ラプトルに対するあふれんばかりの愛が素晴らしい。これまでは恐怖の対象となっていたラプトルが今回は頼れる相棒になってくれるのだ。途中、インドミナスレックスと手を組むという悪夢もあったが、恐竜を甘く見てはいけないということを強調している点でもあり、ここは素晴らしい。最終的にはオーウェンたちを守ってくれるヒーローになるのだ。
あの獰猛凶暴なラプトルが味方になるとこれほど頼もしいのかと。我が家にもラプトルが欲しくなってくる。愛らしさと凛々しさを併せ持つ、素晴らしい恐竜になっている。
特に強調したいのが「T-レックス」の存在だ。1作目でラプトルに襲われる主人公を助けたような形となったT-レックス兄貴だ。ヒーロー然として彼は描かれているが、今回も同じだ。しかも1作目と同じ個体という設定なのだから、もう堪らない。
今回もまた、ヒーローとして彼は私たちの目の前に現れて興奮させてくれる。
インドミナスレックスとの勝負が始まるのだ。かつては敵であったラプトルと共闘するという、その王道すぎる描写に思わず叫びたくなる。
これは贔屓のスポーツチームの試合を見ている感覚に陥る。戦いが進むとその感覚を遂には凌駕してしまう。
久々に父親を見たときのような、懐かしくも温かい安心感に包まれるのだ。雄大な父親の背中を眺めるように、俺に任せておけと言わんばかりの絶大なる安心感を放つのだ。
この場面だけを延々と見ていたくなる。彼とラプトルの共闘はそれほどまでに、私の心をつかんだのだ。
脚本、描写、映像、演出、キャラクター……。
どれをとっても最高品質であり、これほどまでに夏休みに見る映画としてピッタリの作品は存在しないといっていい。大人も子どもも楽しめる。いや、第1作を幼少期に鑑賞した大人のほうが、随所にちりばめられた第1作への敬意を強く感じ取り子ども以上に楽しんでしまうかもしれない。
今作で最も人気が出たのはモササウルスかも知れない。出番は僅かだか、その存在感はすさまじい物だ。記憶にしっかりと焼き付く名優っぷりを披露している。ぱっくんとしているだけなのに、どうしてこれほどかっこいいのか。
これは2Dであっても、もはや体感する映画なのだ。
いや、映画ではない。ジュラシックワールドは「テーマパーク」そのものと言える。
これほどまでに完成された作品を世に放つとは本当に参ったという言葉しか出てこない。
ジュラシックワールドは映画館をテーマパークに変貌させる存在として君臨する。
我々は124分の間「恐竜の世界」に旅行をしていたのだ。
4DXならお漏らしするほどの体験ができそうだ。