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せまひろかん

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実写「進撃の巨人」は原作の不気味さを凌駕する夏休みトラウマ映画だ


まず最初に謝らなければならない@Sanyontama (さよたま)です。
立体機動予告が出たときに、あまりのチープさに勢いで貶す記事を書いてしまった。
進撃の巨人実写版という残酷な真実から目を背けてはいけない
このことを言い逃れすることはできないし、そもそも予告という不明瞭な時点で貶すべきではなかったと反省するしかない。
予告編で貶したことは大きな過ちだった。この場でお詫びするしかない。申し訳ありませんでした。
実写版進撃の巨人は予告だけで判断してはならない作品だ。

前売り券を購入して、前評判の高さに疑心暗鬼になりつつも通常上映版を鑑賞してきました。
原作並かそれ以上にグロテスクシーンが多いのにPG12という区分はどういうことなのか、と思いつつも、原作を上手く咀嚼し巨人たちの不気味、恐怖感は一種のホラー映画とも区分できるほどの質になっている。 
夏休みの少年少女にトラウマを植え付ける映画としては立派な作品に仕上がっていた。

以下ネタバレを含みます。

このレビューでは

以上3点を重点としている。
 
まず最初に注意しなくてはいけない点。
それはキャラクターの改変だ。
リヴァイ兵長は登場しない、ライナーやベルトルトらも登場しない。エレンやミカサの生い立ちや性格が大幅に改編されている。
エレンの両親は彼が幼いころに既になくなっていて出てこない。ミカサはエレンに執着していない。アルミンは探求心や理性が原作よりもあまり感じられず影が薄くなっている。
なおハンジは原作通りにハンジをしているため注目してほしい。

キャラクター改変が大幅に行われており、オリジナルキャラが多数出てくる。
キャラクターへの愛着を持っている人は注意して鑑賞してほしい。

 

キャラクターの改変に付いては「驚愕の改変量」で触れている。
 
それでは実写版進撃の巨人を徹底的にレビューしていく。

・原作を凌駕する不気味さと恐怖感

進撃の巨人は原作もアニメも鑑賞済みだ。原作やアニメの持ち味である「巨人の異様さ」に関してが実写版での見どころになると考えていた。
人間を生きたまま喰いまくる。タブー視される人が人を喰う、食人が肝な作品だ。

その不気味さという点で、一つの目標となるのは「フランケンシュタインの怪獣サンダ対ガイラ」なのではないか。そう考えたのだ。
タランティーノやブラッドピッドなどの著名人もファンだと公言する怪獣映画だ。
1966年に公開されたサンダ対ガイラは進撃の巨人と似た部分がある。
人型の巨大生物「ガイラ」が人間の住む世界に現れる。
ガイラは人を喰らう。
心優しきサンダが人間を捕食するガイラを止めるべく、両者は激突する。
進撃の巨人と似た部分が多く、実写版鑑賞前には復習鑑賞を行った。
原作者や実写版スタッフも意識はしているはずの作品だと考えたからだ。 

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ガイラは本能のまま突き進む。
ガイラは海に現れ、船を襲い泳いで逃げる船員を追いかけてまで食するという執着心を見せる。
羽田空港に現れて逃げ惑う人々を追い、建物内で逃げ遅れた人間をとっ捕まえる。腫れぼったくむくれ、下あごの歯は大きく前に飛び出した嫌悪感を催す顔がアップになる。人間は叫ぶしかないのだが、そんな叫びはお構いなしに捕食するのだ。捕食後は服を吐き出すなどガイラの恐ろしさを一目で表した場面だ。
怪獣映画においてこれほど如実に「人を喰らう」という場面を表現した作品はそれまでなく、まさに不気味で異質な怪獣映画を完成させているのだ。
対してサンダは人間を食すことはやめろとガイラを説得する。人間に育てられたために人間に危害を加えることはせず、それを行うガイラを止めるべく奮闘するために、理性さを感じさせる温和な顔つきになっている。それ故にガイラの不気味さが引き立つという絶妙なデザインがなされている。

自衛隊がメーサー(雷のような光線を発射する兵器)でガイラを仕留めようとする。今までの怪獣とは違い負傷するのだ。その傷はやけどのように赤くただれ、視覚的な不気味さをより強調させている。

こういった巨人が出てくる不気味な映画という基礎を持つのがサンダ対ガイラだ。巧みなデザインと物語構成により、サンダとガイラの差異を際出せている。
進撃の巨人とも共通する点が多くみられるのだ。サンダが人のためにガイラと戦うという点は巨大化したエレンと巨人たち、そのままにみえる。
はたして進撃実写版はこれを超えるのか。多少の不安を残したまま鑑賞した。



超大型巨人が出現して壁が破られる。原作に沿った流れである。
そうして侵入してきた巨人による大殺戮捕食ショーが行われるのだ。
原作の巨人は人間を捕食する際、どこか楽しげな雰囲気を醸し出していた。それが巨人の不気味さを濃縮して引き立たせているのだが、実写版はそれをはるかに超える恐怖と不気味と嫌悪に彩られていた。
巨人たちは人間を捕まえると食いちぎる。人間が周囲で大量に存在しているのに一人を取り合って引きちぎったり、他の巨人が捕まえた人間を「俺にもよこせ」と奪い取ろうとして見たりと、より生物感が際立った存在になっている。
原作でも前述のような描写はあったものの実写で描かれると、現実味が増してしまい気持ち悪くなってくる。
咀嚼すると腕が吹き飛んだり、体の一部が落ちてきたり、血が雨のように降り注いだりと、グロテスクな表現は原作やアニメを軽く凌駕しているのだ。
壁に叩きつけられつぶれてしまった人間を舐めるまでして捕食しようとするあたり、どこか味わって食べているように感じられる。
暴れる人間をゆっくりと口に運んでいく様は狂気としか言いようがない。生きが良いのかを確認しているかのようだ。人間が釣ったばかりの魚を手にし、その暴れ具合を見て「生きがいい」と思うことに通じる動きを見せるのだ。
わずかに人間らしさを感じさせる。人間を見つけたら猪突猛進してくる獣ではない。原作でも巨人たちは何かの目的を持った人間らしさを感じさせるが、実写版はその成分が強い。
人間を見下しているように見えてくる。
「お前らは家畜だ」とでも言いたげだ。それが実写版の巨人たちだ。
だからこそ人類のちっぽけさがより克明となったのだ。

巨人のデザインも良い。口が大きく裂けている奴もいれば、腹が大きく垂れ下がった奴もいる。原作にはない赤ん坊の巨人がいる点も素晴らしい。泣き叫ぶと口が裂けるがそれでも泣き続けるという描写も、やはり巨人は異常だということを強調している。

生きるための狩りでもない。楽しく人間を捕食している。
妙に残留した人間らしさが巨人の不気味さを色濃くしている。不穏な存在として見事に描き切っているのだ。
実写版を見た少年少女にトラウマを植え付けるだけの恐怖と不気味は存在している。
血しぶき満載、四肢断絶はもちろんだ。日本映画が避けて通るグロテスク描写も臆することなくしっかりと描き切っている。グロテスクに耐性がない人は注意してほしい。 
これがPG12という区分なのは、映倫が狂っているとしか思えない。R15が適当な映像だ。なぜPG12なのか。トラウマを植え付けるためとしか思えない。

・特異な映像
さて、気になる人も多いだろう映像面の話だ。
冒頭で述べたとおり、予告編だけで判断するのは性急すぎた。
日本映画でCGを多用した作品が陥りがちな「CG感の丸出し」は以外にもなかった。今回は久々に特撮監督という文字が躍るほどに特撮映画を前面に押し出していたが、その特撮感もあまり感じられない。
CG感も特撮感もなぜだか感じることができない、特異な映像が生まれていたのだ。

巨人たちはCGではなく特殊メイクや着ぐるみで表現されている。
背景映像もミニチュアや実写の合成が多い。
立体機動はめまぐるしく動き回るために、粗が目立ちにくい。上手いことごまかせているのだろうか。
どこからが特撮でどこからがCGなのか、判別がつきにくい映像だ。

血しぶきもCGではなく特殊効果と思われる。
巨人のうなじを破壊し、飛び散る血液は粘っこさがあった。水のような血液ではないために、よりリアルな感触を観客に与えることに成功している。巨人が死ぬ行くのだという説得力を生み出していた。
超大型巨人も着ぐるみで撮影されているようだ。こいつにも着ぐるみらしさもない。蒸気はおそらくCGで付け足しているものと推測される。そのおかげか、着ぐるみ感の相殺が成功しているように思える。
稚拙に見えそうな点は激しい動きでごまかせているし、巨人たちの巨大感演出も建物との対比で上手く魅せている。
映像面では足し算がうまいこと成功している。

特筆したいのが巨人エレンだ。
こいつは着ぐるみだ。表現方法自体はウルトラマンそのものである。
どういう訳か原作やアニメよりもはるかにかっこいいデザインになっている。
アニメ以上に動く。蹴る。跳び蹴りも披露する。ラストのエレン対巨人は狂気じみたウルトラマンというべき映像だ。ストイックな殴り合いではなく、殺し合いというべき決闘だ。しかしながら、ここでも着ぐるみ感、ミニチュア感があまり感じられないのだから不思議である。
エレンが頭部を破壊した巨人の頭部が再生する場面がある。筋肉が再生しごろっとした真ん丸な目だがが筋肉から飛び出す。これほどか!と言いたくなるほど、巨人の異質さを強調しまくるのだ。頭部を再生留守巨人に止めをさすと血しぶきが間欠泉のように飛び出すのも、いかにも殺し合いという感じが出ている


特撮映画や怪獣映画を数多く見てきた身としても、どこからどこまでが特撮でCGなのか本当に判別がつかないのだ。
巨人エレンが人間たちと対峙する場面でも、着ぐるみ感という映像にはなっていない。人間たちが浮いている、いわゆる合成だとまるわかりな映像ではないのだ。かつての日本特撮怪獣映画では怪獣と人間の合成が違和感あることも多かったから、この馴染み具合には心底驚愕した。
ラストの巨人エレン、いやウルトラマンエレンは必見である。まさに巨人が暴れていると確信する映像がそこにはある。
ようやく21世紀型の日本特撮が登場したと歓迎すべき、驚異の映像だ。この独特な質感は海外からも新鮮に見えるだろう。ハリウッドとは違う方向に日本の特撮とVFXが進化した。

ただ一つ文句があるとすれば、エレンが巨人に飲みこまれた場面だ。
口から胃袋に至るまでを描いているのだが、これがどうしようもなくチープだった。
生物の胃袋ではなくここは作り物感丸出しで、どうしても納得できない。
ここは丸々カットしても良かっただろう。エレンが喰われたという絶望感を味わわさせる方向性で良かったはずだ。
巨人に飲みこまれる場面だけはどうしても許せなかった。

・驚愕の改変量

改変された点は枚挙にいとまがない。
冒頭で記したとおりキャラクター改変はすさまじい。そして世界観の改変もすさまじい。
原作では産業革命前後と思われる世界観。車両は登場しない。馬車が最も便利という世界だ。
しかし実写版では装甲車が登場する。なぜかヘリの残骸や不発弾が登場する。アルミンが語る「この世界の歴史」では人類同士の戦争に言及していた。
原作とは大幅に違う歴史を歩んできた城塞都市がそこにはある。その世界観への説明は何一つない。断片的な情報だけが観客に伝えられるのだ。
だから、置いてきぼりになるのも仕方がない。世界観が掴めないままに侵攻する物語は少し不満をもたらす。
上映時間は98分だ。あと10分ほど長くして、冒頭でこの城塞都市の世界、そこにある町や人々の特徴、生活様式や宗教観などを多少なりとも伝えておく必要があったと思える。

その説明不足は「絶望感」の気迫に繋がってしまった。
巨人自体は不気味で恐怖感が満載だ。もはや巨人たちはホラー映画の住人といっても差支えがないほどだが、その巨人に喰われる、命を落とすという絶望感がそれほど感じられない。
壁の中に住む人々が何を考えて生きているのか、温かみや営みの描写が希薄であり、死に対する重さが弱いのだ。
原作やアニメは壁の中における営みに多くの時間を割いて描写していた。巨人は第一話のラストに登場して、これから惨劇が巻き起こるという悪夢への期待が持てた。
登場人物たちがどのような状況下で生活をしているのかを克明に描くことにより、巨人が現れた際の逃げ場のない絶望や、やり場のない怒りにも共感が持てたのだ。
実写版ではその説明を「観客に匂わす」という形でのみ提供しているから、あまりに共感を持ちずらい結果となっている。
ここが不満点だ。あと10分本編を長くしたとしても108分だ。まだ120分にも満たないほどであるから、冒頭の人間描写を骨太にしてほしかった。

原作でのエレンは母親を巨人に喰われ、復讐のために兵団に志願する。
実写版では冒頭、エレンは教会に逃げ込むがミカサは取り残された赤ん坊を救いに行き、教会には入れなくなってしまう。逃げ遅れたミカサの背後に巨人が現れて、喰われる。
ミカサを助けられなかったという自分の弱さに対する自責の念と巨人への復讐のために志願するという改変がなされている。
原作における母の役割を、実写版ではミカサが担っているのだ。
しかしミカサは生きていたとのちに判明する。
動機が消滅する。
原作にあった、狂気的な巨人への執着心。それは復讐のためであった。実写版も中盤まではそれが生き続けるのだが、ミカサが生きていたと判明してからはなぜ戦うのか、どうしてここにいるのか。それすらも分からない。
復讐に突き動かされ、その動機が欠如してしまったが、ここまで来てしまったら生きるために戦うしかないのだという、つまり絶望がそこに生み出されるのだ。
動機を失っても、それでも戦うしかないという兵士の無常さが克明に映し出される。
先が見えなくてもとにかく進むしかない。そんな絶望感は今の世において共感できる人も多いはずだ。
原作における動機を、いとも簡単に消してしまう点は面白い。
この「やるせなさ」は原作が持つ閉塞感にも通じている。意図してこのようなキャラクターに改編したのであれば、とんでもない手腕である。 
 
ミカサが持つエレンへの執着心は消え失せている。
この執着心は巨人へと向けられた。自身の体を傷つけた巨人への復讐心で戦場では女神とも呼ばれるほど、驚異的な数の巨人を屠っている。
エレンを守るためなら命すらも投げ出すような、狂気驚異の執着心をもつミカサはここには存在しない。その執着心は巨人に向かっており、原作にもあるどこか無機質なミカサと合致しているのだ。
エレンとミカサの関係性は大幅に異なる。原作通りを期待してはいけない。それを拝むことは不可能だ。

さて、問題としてはドラマ部分と巨人部分の落差だ。
巨人との戦いは見事なほど血みどろで「殺るか殺られるか」の演出が色濃いのだが、ドラマパートはどういう訳か間延びしてだるいのだ。
ジャンとエレンが喧嘩をする場面はかっこよく、まるで漫画のような決めた画を盛り込んでくるほどなのだが、それ以外は見事にだるい。
監督がどれほど巨人を描くことに執着したのかが良くわかるほど、ドラマパートはおまけ感が強い。
アクションシーンは生き生きと、それ以外は平凡に。波のある作風になっている。
唐突にセックスシーンが盛り込まれる(厳密には未遂に終わる)。この点は戦場の狂気的な面を強調しているように思えて個人的には面白い点であったが、それ以外は「早く巨人を出せ」と言いたくなるのほどに退屈だ。

樋口監督としても吹っ切れたように思える。
描きたい部分をとことん描く。監督が燃え尽きて消滅するのではと思うほどだ。
「これが俺のやりたかったことじゃ!」と言わんばかりの、狂気的にも思えるほどに熱を帯びている。巨神兵東京に現るの時に持っていた情熱をそのまま持ち込んできたかのようだ。
だからドラマパートが退屈に思えたのかもしれない。巨人部分の熱量に押されるあまりにドラマパートとのバランスが悪くなっているように思えるのだ。
ドラマパートの演出はやりようがあったと強く感じる。俳優たちの演技は良いのだが、演出が悪いせいで退屈に仕上がるという最悪の状況に陥っている。
前述したように人間描写は骨太にしてこそ、進撃の巨人という作品が内包する絶望感、焦燥感が光るはずなのだ。



なお何度も言うがハンジだけは本当にハンジだ。ハンジそのままだ。

・総論
ハリウッドでも真似ができないと思われる、日本独自に進化した21世紀型特撮が完成した。
特撮独特の稚拙さが巨人の不気味さの協調に役立っている。
ただ立体機動の場面はやはりアニメには劣る。あまり期待はしないほうがいい。基本的に俳優の表情をアップにするという表現が多いので、立体機動の躍動感はあまり感じられない。

映像に関しては突っ込みたい部分もあるが、邦画としてはトップともいえる品質だ。
この映像だけでも見る価値はある。
PG12とは思えないグロテスク描写は少年少女へトラウマを植え付けるだろう。
ただドラマパートが退屈だ。後編も似たような形になっているだろうが仕方がない。

しかし、物語の肝とする部分は「進撃の巨人」そのものなのだ。
絶望しか存在しない世界をどう打開していくのか。それこそが進撃の巨人であり、実写版も同じ流れを持っている。
紛れもない「進撃の巨人」なのだ。

現代のサンダ対ガイラというよりも、日本が培ってきた特撮怪獣映画のエキスが濃厚に絞り出された作品だ。
特撮怪獣映画だけではなく、ホラー映画やパニック映画の成分も混ぜ込まれており、多様な雰囲気を持ち合わせている特殊な作品になった。漫画の実写という枠にはめ込むことが難しい。
日本映画が陥りがちなスケールの大きな作品を作ろうとすると、逆にしょぼくれた世界に見えてしまうという欠点を、この作品では城塞都市という閉塞感をぶつけることにより、見事なまでに相殺してしまっているのだ。
サンダ対ガイラを軽々と超えた不気味さと恐怖感は鑑賞する価値ありだ。

まだ後半が残っているために完全な感想を述べることは難しい
巨人の暴れっぷりはすさまじく興奮で来て楽しめた。この世界の巨人にだけは出会いたくないと思えた。個人的にだが、実写化という面では成功しているように見える。しかしながら後編を見るまでは正式な評価は保留するしかない。

あとは広げた風呂敷をどうたたむのかに注目するしかない。
後編でこの物語がどう収束するのか。日本映画がどこまで表現できるのかを見届けたいとおもう。


夏休みの一大トラウマ生産映画がここに誕生した。
鑑賞後は怖いという声が聞こえてくるほどに、観客には恐怖を与えることには成功している。

劇場で泣き出す子どもがいれば、それが製作者の意図であり本望なのだろう。